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924WS:2024/08/27(火) 14:30:30
鬼畜系(きちくけい、Demon style)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%95%9C%E7%B3%BB
悪趣味系サブカルチャーのサブジャンルであり、1990年代の鬼畜・悪趣味ブームにおいて電波系やゴミ漁りで知られた鬼畜ライター・村崎百郎が自分自身を指すのに提唱した造語である。
ブームを代表する鬼畜系ムック『危ない1号』のキャッチコピーは「妄想にタブーなし」「この世に真実などない。だから、何をやっても許される」。

語義
エロティシズム文化に詳しい伴田良輔は「悪趣味」の起源そのものは「キッチュ」「マニエリスム」「バロック」「グロテスク」といったヨーロッパ文化にあると指摘し、それが大量消費時代を迎えた1950年代以降のアメリカで「モンド」「スカム」「キャンプ」「ビザール」「ローファイ」「バッド・テイスト」に発展し、それが米国での流行の経緯とは無関係に日本で新しい意味や機能が付け加えられて蘇ったと解説している。
ただし、伴田の定義する「悪趣味」とは、ある範囲の事物に共通して見られる「けばけばしさ」「古臭さ」「安っぽさ」の類型的特徴を意味しており、最初から「悪趣味」とされるものを享楽的に消費する、あるいは露悪的なスタイルを積極的に志向するような「鬼畜系」は含まれていない。

こうしたサブカルを統合するカテゴリーとして範囲「鬼畜系」「電波系」「悪趣味系」という用語が90年代に広まったが、一部の読者が数々の事件を起こし、1997年までにブームは終焉を迎えた。

江戸時代
日本におけるエログロ文化は、大衆文化が花開いた江戸時代後期の艶本・春画においても見出すことができる。
鳥居清信の春画の一つ(1700年頃)には性的倒錯の一種の裸の男と服を着た女のシチュエーションがある。
同性愛を描いた春画(枕絵)も多々知られている[11]。葛飾北斎の艶本『喜能会之故真通』(1814年頃)における「蛸と海女」は、獣姦アートの中でも蛸が相手というかなりのキワモノであった。
西洋ではルネッサンス以降、医学書・解剖図 や解剖図を反映した等身大の人体蝋人形などが数々制作された。
中でも、Marie Marguerite Biheron (1719 - 1795) の作品が有名であり、妊婦の解剖人形などは非常に精巧だったとされる。
日本でも、蘭学の医学書の翻訳本『解体新書』(1774年)など、漢学や蘭学の医学書・解剖図に倣った書籍が幾らか発行された。
中でも、渓斎英泉の艶本『閨中紀聞 枕文庫』(1822年)は、当時の性の医学書・百科事典にして性奥義の指南書であり、同時に、奇書の中の奇書として知られている(特に膣の内部に大きな関心が抱かれている)。
幕末期には浮世絵師の月岡芳年や落合芳幾が「無惨絵」という歌舞伎の殺陣や鮮血などの残酷描写を主題にした扇情的な浮世絵を発表した。
これは幕末という不穏当な時代世相を背景に制作されたともいわれる。なお、無残絵は江戸時代後期の廃仏毀釈の流れもあり、九相図など仏教絵画に見られる宗教色が一掃されている。
つまり無残絵は宗教的文脈を逸脱し、純粋な娯楽として制作および鑑賞されていたことがわかる。
以降、無残絵はエログロの古典的地位を確立し、責め絵の草分け的存在である伊藤晴雨は、芳年の無残絵を模した緊縛絵や緊縛写真を多数制作した。
また芳年と芳幾が幕末に発表した競作無惨絵『英名二十八衆句』(1866年 - 1867年)は、非商業的な漫画雑誌『ガロ』(青林堂)などで活躍した丸尾末広と花輪和一によって昭和末期にリメイクされており、無残絵を原点とするエログロ文化の精神的な流れは、後々のサブカルチャーに脈々と受け継がれた。

また、幽霊画というホラージャンルも存在し、月岡芳年作の女性器が顔についている幽霊など、エログロセンスの絵画もあった。
ピーテル・パウル・ルーベンスのメドューサの頭部も古典的グロ画である。

拷問は世界各地で行われていた習慣であったため、さまざまな文化において拷問シーンやを描いた絵画が見られる。
また、放尿・脱糞などの排泄シーンを描いた絵画も、歴史上にいくらか残されている。

1785年にはマルキ・ド・サドが鬼畜SM小説『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を著した(初版は1904年)。
マゾ文学は1871年の『毛皮を着たヴィーナス』にて開花したと言われている。
死や汚穢趣味[25]にエロティシズムを見出す文学は世界各地に見られる。
また1812年にヨーロッパで刊行された『グリム童話』は、民衆文化の中から成立し、残酷・性的な描写も散見された。


1995年、映画秘宝創刊-悪趣味映画劇場
「モンド映画」、「東映ポルノ」、「ミッドナイトムービー」、「エクスプロイテーション映画」、「カルト映画」、および「グラインドハウス」も参照
MONDOとはイタリア語で「世界」を表し[要出典]、未開地域の奇妙で野蛮な風習を虚実ないまぜに記録したモンド映画『世界残酷物語』(1962年)のヒットにより世界中で定着した
(原題の「MONDO CANE」は、イタリア語の定句で「ひどい世界」の意)。
モンド映画とは世界中の奇習・奇祭などをテーマにした映画で、エログロ満載のショッキングな映像で観客の好奇心を惹きつけておきながら「狂っているのは文明人のほうだ」と、取ってつけたような文明批判や社会批判を盛り込んだ、社会派きどりのモキュメンタリー・猟奇趣味的なドキュメンタリーである。
その後、MONDOという概念はアメリカで独自の発展を遂げ、単なる世界から「奇妙な世界」「覗き見る世界」「マヌケな世界」へと語義が変化し、奇妙な大衆文化を包括するサブカルチャーの総称、ないし世間的に無価値と思われている対象をポップな文脈で再評価するムーブメントとして扱われるようになった。

1995年7月 - 町山智浩と田野辺尚人が合流し、映画雑誌『映画秘宝』(洋泉社)シリーズを創刊。第1弾は「エド・ウッドとサイテー映画の世界」。当初はA5判ムックであったが、1999年にA4判の隔月刊映画雑誌としてリニューアルし、2002年より月刊化。
国内外のモンド映画を体系化した、映画秘宝ムックシリーズ『悪趣味洋画劇場』『エド・ウッドとサイテー映画の世界』『悪趣味邦画劇場』(1994年?1995年/洋泉社)

このように鬼畜/悪趣味を前面に押し出した雑誌・週刊誌・月刊誌・隔月刊誌・ムック・単行本が相次いで出版されるようになり、ますますブームの過熱を煽っていった。




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