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アメリカン・ニューシネマ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E
1960年代後半から1970年代半ばにかけてアメリカにおける映画のムーブメント
社会や政治に対する反体制的なメッセージや批判的な視点を取り入れている。
1967年8月にアメリカで『俺たちに明日はない』が公開されたとき、辛口の映画評論家・ポーリン・ケイルが褒め、他の批評家もその流れになり、『TIME』で「ニューシネマ 暴力…セ〇クス…芸術!自由に目覚めたハリウッド映画」という見出しで特集が組まれた
それが日本で「アメリカン・ニューシネマ」と紹介され、日本では「アメリカン・ニューシネマ」というネーミングで定着している
ニューシネマと言われる作品は、反体制的な人物(若者であることが多い)が体制に敢然と闘いを挑む、もしくは刹那的な出来事に情熱を傾けるなどするのだが、最後には体制側に圧殺されるか、あるいは悲劇的な結末で幕を閉じるものが多い。
つまり「アンチ・ヒーロー」「アンチ・ハッピーエンド」が一連の作品の特徴と言える
それはベトナム戦争や大学紛争、ヒッピー・ムーブメントなどの騒然とした世相を反映していた。
終焉
ベトナム戦争の終結とともに、アメリカ各地で起こっていた反体制運動も下火となっていき、それを反映するかのようにニューシネマの時代も徐々に終焉することになる。
1979年の『地獄の黙示録』がニュー・シネマの最後の作品との説もある。
70年代の半ばになると、『タワーリング・インフェルノ』(1974年)を筆頭に、『ジョーズ』(1975年)、『ロッキー』(1976年)、『スター・ウォーズ』(1977年)、『スーパーマン』(1978年)といった明るい商業主義的な映画が人気を博すようになり、スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカスのような作家たちをハリウッド・ルネサンス(Hollywood Renaissance)とも呼ぶようになった。
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