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ディアスポラ 民族離散
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%A9
よくパレスチナ以外の地に移り住んだユダヤ人およびそのコミュニティに使われた
古代から現代にかけてのギリシャ人のディアスポラ、アルメニア人のディアスポラにも使われて、
最近では華僑、印僑、日本人のディアスポラ(日系人)などと広く使われている。
ディアスポラは、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指すようになった
ユダヤ人のディアスポラ
歴史的経緯
古代地中海世界の諸都市にはユダヤ人共同体が多く存在する。一般的に周辺住民によるイスラエル民族への弾圧によって成立したといわれることが多いが、実際には(特にヘレニズム期に)人間や物資が地中海世界を自由に往来する中で発達した。フェニキアの植民地であったカルタゴは滅亡(紀元前146年)の後、バアル信仰を捨て、ユダヤ教への改宗が進んだ。
古代世界最大のユダヤ人コミュニティはエジプトの大都市アレクサンドリアにあり、ローマ属州時代に存在したものである。ユダヤ人の本国フェニキアでもユダヤ教への改宗は進み、それがキリスト教(正教会)普及への流れを産んだ。
ユダヤ人は多くの都市において自治組織 (qehilla) を持ち、独自の宗教・文化を守って暮らしていた。古代以来、地中海世界でユダヤ人はギリシャ人と商業面で競合することが多く、迫害されることもあった。
また、ローマ帝国においては、兵役に就かず、唯一神以外礼拝しないユダヤ人は特異な存在と見なされることが多かった。離散したユダヤ系の人々は追放を受けるなどとされていたほか、土地が与えられずに迫害を受けることがあった
キリスト教との関係
初期キリスト教は各都市のディアスポラのシナゴーグを拠点としてローマ帝国内に広まっていった。初期キリスト教徒はユダヤ教の会堂において礼拝を行うことが一般的であり、当時におけるディアスポラの存在意義は大きい。
日本人のディアスポラ
人数も広がりも中国ほどではないが、日本でも16世紀のアユタヤ日本人町に始まり、明治以降はハワイや北米大陸、中南米諸国に移動した。また第二次世界大戦以降は経済的困難な時代の移民という形や、その後の経済進出、または海外在住退職者などで、海外に日本人コミュニティーができた。
こうした現象は、特に1990年代以降「日本人のディアスポラ」(Japanese diaspora)という概念で、世界的にはくくられている。
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