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ネタリンク 02

429WS:2023/07/12(水) 11:44:11
T4作戦とは?ナチスが命じた障がい者の大量安楽死
https://magikichitube.hatenablog.com/entry/sakusen
NHK BSプレミアムの「ダークサイドミステリー」より
戦争には莫大な費用がかかります。
資金に乏しいナチスが目をつけたのは
年間50億円かかる障がい者の介護費でした。
"この金額を軽減できれば戦争費用の足しになる"
とナチスは考えました。

ちなみに作戦名の"T4"とは、
作戦を発令した司令部があった場所、
「ティアガルテン通り 4番地」
という通りから名付けられたようですよ。

1939年10月 ついにT4作戦が決行されました!
次々とバスに乗せられる障がい者の人たち。
ナチスは親に「特別な治療」と嘘をついて安楽死施設に連れていきます。
ちなみにここでの"障がい者"とは身体的というよりは知的の障がい者の人たちのほうが多かったようです。
山奥の施設に着いたら「シャワーを浴びなさい」と、ある部屋にぎゅうぎゅうに入れられます。
その部屋に入ったら最後、生きては出られません…
なぜならその部屋は"ガス室"だからです。

親の一部は安楽死を歓迎していました。
当時のドイツでは、
「障がい者が身内にいることは恥」
と、いう風潮があったからです。
今では考えられない世界ですね…

次々と死体の山を築く安楽死施設。
犠牲になった障がい者の数は5000人にものぼるようです。

そんなT4作戦を強く非難する者達が現れました。
「ドイツカトリック教会」です。
フォン・ガーレン司教が発信した、国民の心に響いた言葉がこちらです。
 「私たちは 他者から 生産的であると認められたときだけ生きる権利があるというのでしょうか? 
 もし非生産的な市民を殺してよいとするならば
 病人、傷病兵、仕事でけがをした人、老いて弱ったときの私たち全てを殺すことが許されるのです。

最もな言葉ですね…
1941年8月 司教の発言をさかいに、国民の反発を恐れたヒトラーはT4作戦を中止しました。
T4作戦は中止になったはずなのに、安楽死は止まりませんでした。
安楽死にたずさわった医師や看護師が自発的に続行していたのです!
彼らは自分たちが正しいことをしていると思い込んでいました。

そして、この暴走をナチスが止めることはありませんでした…
事態はさらに悪化。安楽死の対象は拡大していき
・高齢の病人
・空襲で重症を負った市民
・負傷した退役軍人
などがガス室送りになりました。

また、このときT4作戦の中心になっていた医師や看護師、そして培われたガス室での技術が
"ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)"
の担い手になっていくのです。


【安楽死を止めない心理】
1945年4月30日 ヒトラーが自殺。ドイツは降伏し戦争は終わりました。
T4作戦での犠牲者の数は
 20万人
にのぼるようです。

なぜ、医師や看護師は中止になったはずの安楽死を自分たちで続けたのでしょう?
彼らの心理に迫ります。

彼らからすれば、国から命じられたことを遂行してきただけです。
ところが それが悪いことだと発覚してしまったので
「今さら自分たちがやってきたことを否定するわけにはいかない。」
という、心理がはたらき 自分たちの正当性を主張するために止められなかったのではないでしょうか?
ここで止めてしまうと、
 ただ"自分たちが犯罪をやっていた"
という事実だけが残ってしまう。
そんな風に感じました…




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