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422WS:2023/07/07(金) 10:30:12
>>421
ドミニオンの誕生
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%B8%9D%E5%9B%BD#%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F
20世紀初頭には、イギリス帝国の領域は過去最大となったものの、アメリカやドイツの追い上げによって国力の優位は次第に小さなものとなっていった。
こうしたなか、特に白人が人口の多くを占める植民地に自治権を与え、自治領(ドミニオン)とするようになっていった。

最初のドミニオンはカナダで、1867年、英領北アメリカ法によって3つのイギリス北米植民地が連邦を組んだ際にドミニオンと称するようになった。
ついで1901年には6つの植民地が連邦を組んだオーストラリア連邦が自治領化し、1907年にはニュージーランドとニューファンドランドが、1910年には南アフリカの4植民地を連邦化した南アフリカ連邦が、それぞれ自治領化した。
これらの自治領との連携を深めるため、1887年から開催されてきたそれまでの植民地会議を1907年に帝国会議と改称し、帝国会議に出席できる自治領は従属的なニュアンスを持つ「植民地」(Colony)ではなく「ドミニオン」(Dominion)と正式に称されるようになった。

パクス・ブリタニカ時代の帝国臣民と人の移動
イギリス帝国の住民(帝国臣民)は人種・肌の色を問わず、帝国内での自由な移動・居住を保証された。
この移動と居住の自由は同時代の植民地帝国や近代国家にみられない特性であり、非ヨーロッパ系住民でも自己利害のために有効に活用できた。
インド独立運動の指導者として高名なガンジーも3年間ロンドンに留学し、法廷弁護士の資格を取得している。




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