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17WS:2022/05/05(木) 05:19:36
サー・サイモン・ヴィーゼンタール(Sir Simon Wiesenthal、1908年12月31日 - 2005年9月20日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB
ドイツのナチス政権下時代の戦犯の追及者(ナチ・ハンター)として知られるオーストリア人ユダヤ教徒である。名はドイツ語風に「ジーモン」とも表記される。サイモン・ウィーゼンタールと表記されることもある

アイヒマン逮捕
ナチス政権下のドイツ人犯罪者は、戦時中よりドイツに協力的で、そしてその後も反共産主義という共通点のあったバチカンやフランシスコ会、スペインの反共政権、そしてドイツの元軍人のみならず、現役の西ドイツの政治家や官僚などの協力の下で南アメリカやアラブ諸国に逃亡していた。

しかしヴィーゼンタールはその行動力と情報網を駆使し、多くのナチス政権下のドイツ人犯罪者の逮捕に関与した。その中にはアンネ・フランクを強制収容所に送り込んだゲシュタポ隊員であったものの、戦後はオーストリアの警察に復職していたカール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー[3]、ソビボル強制収容所の看守でブラジルに逃亡していたグスタフ・ワーグナーなどが含まれる。

ドイツ人科学者を雇いミサイルを作るエジプト、イタリアを中心とした反共政治家や軍人、マフィアなどからなる組織である「ロッジP2」など、冷戦下において数多くの妨害を受けながらも、マルティン・ボルマンやヨーゼフ・メンゲレなどの大物戦犯を追い続けた。

死亡したと思われていたアドルフ・アイヒマンが、1950年代にブエノスアイレスで姿を確認されたと西ドイツの検事のフリッツ・バウアーが確認したが、西ドイツ政府はこの情報を否定。そこでバウアーはヴィーゼンタールに情報を提供するとともに捜査を依頼した。のちにヴィーゼンタールがアイヒマンの写真を入手してイスラエル諜報特務庁に情報提供し、1960年5月にアルゼンチンに潜伏中のアイヒマンの逮捕に貢献した。

ヴィーゼンタールは1970年代にオーストリアでブルーノ・クライスキーが内閣を組閣する際、数人の大臣が過去にナチス党員だったことを指摘した。これに対してクライスキーは、自身がユダヤ人だったため、ヴィーゼンタールを「身内の悪口を言う人」として非難した。




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