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111WS:2022/07/09(土) 13:27:23
戦争マラリア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2
第二次世界大戦時の沖縄県で、有病地に強制疎開させられた一般住民や、駐留した日本軍の軍人・軍属等が罹患したマラリア
石垣島の北側(裏石垣)と西表島はその意味で恐れられた地域である。
現在ではマラリアは一掃されているが、第二次世界大戦時にはまだ発生地域は多かった

第二次世界大戦時、沖縄本島周辺では激しい戦闘が行われた。
八重山諸島においては米軍の上陸こそ無かったものの、空襲や艦砲射撃による攻撃を受けた。
その中で、一部地域で住民の疎開が行われ、しかもマラリアの発生する地域に移住させられたために、多くの人がマラリアに罹患し、多くの死者を出した。
これが戦争マラリアと呼ばれる所以である。

西表島への疎開命令
波照間島に疎開命令が出たのは、八重山における正式な疎開命令より3ヶ月ほど前、慶良間諸島にアメリカ軍が上陸した直後の1945年3月末(正確な日付は不明)であった。
命令書はなく、旅団本部が口頭で竹富村の村長に伝えたという。理由は、アメリカ軍がこの島に上陸してくる可能性が高まったためとのことであった。
村長は波照間島出身の村議会議員に命令を伝えたが、議員は疎開を拒否した。
すると、青年学校の指導員として波照間島に滞在していた山下虎雄なる人物が現れて疎開を命令した。
山下は一変して軍服をまとうとともに帯刀し、中尉(少尉とも)と名乗って島を支配下に置いた。
住民には疎開に反対する者もいたが、軍の命令でありやむなくこれに従った。
山下は、反対する住民に対して顔を真っ赤にさせて怒り、「自分の言うことに反対する者はこの日本刀で斬る」と脅した。
また、「米軍が波照間島に上陸する恐れがあるので島は無人島にする。家畜は一頭残らず殺し、家屋はすべて焼き払って、井戸には毒薬をいれる」と言ったという。

この山下という名前は偽名であり、その正体は陸軍中野学校・離島残置要員特務兵の陸軍軍曹酒井清(護郷隊では酒井喜代輔と名乗った)である。
酒井は1945年の初めに、スパイ養成機関である陸軍中野学校から離島工作員に指定され、表向きは青年学校の指導員として送り込まれてきた人物である。

なお、酒井(山下軍曹)は、戦後に波照間島を訪れているが、1
981年8月7日の来島時には、当時の浦仲浩公民館長はじめ、5つの部落代表、老人会、婦人会、青年会、町議など19人の連名で
「あなたは、今次対戦〔ママ〕中から今日に至るまで名前をいつわり、波照間住民をだまし、あらゆる謀略と犯罪を続けてきながら、何らその償いをせぬどころか、
この平和な島に平然として、あの戦前の軍国主義の亡霊を呼びもどすように三度来島したことについて全住民は満身の怒りをこめて抗議する」と直接抗議されている。
戦後は滋賀県で工場を経営していた。




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