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DL同人

758WS:2021/08/31(火) 02:03:49
DLsite向け新ネタ

征夷大将軍Gen-Gに捕まったエルフへの凌辱
倭民族大移動により略奪され尽くすミッドアース
森林に棲むエルフとてその例外ではなかった

性的凌辱拷問を受けるエルフ姫

義経=ジンギスカン説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC
蒙古のチンギス・ハン(ジンギスカン)が義経だったとする説は、明治中期から広がり、大正13年(1924)に小谷部全一郎著『成吉思汗ハ源義経也』がでると版を重ねた。
最初はシーボルトが『蝦夷志』などを参考にシーボルト著『日本』で論じたが、それに影響を受けたウィリアム・グリフィスや手塚律蔵の書を参考に末松謙澄が英国ケンブリッジ大学に留学中にロンドンで英文で出版した。
それを下敷きに刊行された小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』が広く知られるようになった。
この説を流布させるのに大きな役割を果たしたのはシーボルトであった。

義経の死は伝説となり、次々と変化していった。 英雄となった源義経は、人々の生きていて欲しいという願望と、自決後の義経の首の搬送期間が不自然に長かったことなどから、実は生きて逃亡したのではないかという疑念や期待が「義経不死伝説」を産んだ。
室町時代以降、「判官びいき」と「義経不死伝説」が「御曹司島渡」説話と結びつき、「義経北行伝説」にまで変遷した。
江戸時代に『義経記』は元和木活字本により広く流布し、寛永年間(1624年-1643年)の流布本によって本格的に読まれるようになり、浄瑠璃、歌舞伎、狂言、読本などにもさかんに取り入れられ「義経北行伝説」はさらに、義経は自刃したとみせかけて、実は蝦夷地にわたったという伝説「源義経北行伝説」へと進化した。
そして其れは様々な誤解と伝説と虚説、あるいは捏造の書物を生み出した。

一部の識者がその死について疑念をもつ一方で一般人の捏造の書物や伝説が肥大化し、江戸時代に源義経は蝦夷のアイヌたちの棟梁に突如成り、金国の将軍に昇格し、ついには清国の祖になった。
この「義経=清朝清祖説」は江戸時代から明治まで夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の中で語られていて判るように、一般民衆に長く信じられた。
そしてついに明治になってチンギス・ハンとなる。
そして小谷部全一郎の『成吉思汗は源義経なり』は戦地で実際に配られ、「満蒙は国家の生命線」と大正から昭和にかけ先の大戦中、大陸の侵略に利用された。

この説が広まった背景には義経蝦夷渡海譚が江戸時代初期の寛文年間に広まったことや、『御伽草子』の「御曹子島渡」や義経語りが蝦夷地での義経伝説として波及したこと、『判官びいき』が義経生存説の勃興に大きく影響したことなどが挙げられる。




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