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ラッキー・ルチアーノ (Charles "Lucky" Luciano) サルヴァトーレ・ルカーニア(イタリア語: Salvatore Lucania)
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アメリカ合衆国のマフィア。イタリア系犯罪組織のコーサ・ノストラの最高幹部・組織改革者で、犯罪シンジケートの立案者。
マフィアの古い仕来たりを止めてビジネスとして組織し、人種にこだわらずにアメリカにあるような合理性を追求して勢力を拡大した。
イタリアへ追放されてからは麻薬コネクションを形成し、暗黒街を大いに富ませた。
1928年頃になると、各地の組織と協力しないと今後は生き残っていけないと考え、シカゴを引退していたジョニー・トーリオたちと「ザ・セヴン・グループ」という、穏やかな同盟関係を構成する。
翌1929年5月にはニュージャージー州アトランティックシティのプレジデント・ホテルで、全国から集まった若手ギャングスターと会議を開く。
トーマス・デューイ対公共の敵ナンバー1
1936年に野心家のトーマス・デューイ検事は、ルチアーノを「公共の敵ナンバーワン」と名指しし厳しく追及した。
そのため当時引退したギャングが集まる街だったアーカンソー州ホットスプリングスに身を隠した。
このとき、古くからの友人のオウニー・マドゥンに生活の面倒を見てもらう。しかし4月1日にカジノで遊んでいたところ逮捕される。
マドゥンが用意した優秀な弁護士を雇い5千ドルですぐに釈放されるが、デューイ側はすぐに再逮捕しニューヨークに連行された。
ルチアーノ側はアーカンソー州のカール・E・ベイリー司法長官に5万ドルの賄賂を交換に釈放を求めたが断られた。
裁判では殺人・酒の密造・密売・労働組合の恐喝・みかじめの取立てなどの数多くの容疑がある。
しかし有罪になったのは彼が犯さなかった数少ない犯罪の1つである強制売春で、売春事件としては異例の禁固30〜50年の刑を宣告された。
このときの裁判で検察側が出頭させた証人の多くは、当局の指示に従わないと逮捕すると脅迫を受けた売春婦たちで、ルチアーノに対して不利な証言をさせていた。
そこまでしてもデューイ側はなんとしてもルチアーノを投獄させたかったという。
ルチアーノは「私は多くの不法行為に関与したが強制売春だけはやっていない」と無実を主張したが、その後10年近く刑務所で暮らすことになる。
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