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HB大学

68WS:2021/07/24(土) 18:33:28
ドイツでタイガー薬局を営んでいたオットー・カリウス氏が亡くなられた記事が出ていました。享年93歳。
https://onemore01.blog.ss-blog.jp/2015-01-29
実は、このオットー・カリウス氏、知る人ぞ知る超有名人。第二次大戦のあのティーガー戦車に乗り、約150両の敵戦車を撃破した伝説の超エースなのです。
https://onemore01.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_18f/onemore01/m_Cap20927.jpg
https://onemore01.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_18f/onemore01/m_Otto20Carius.jpg
カリウス氏は1922年5月27日生まれで、1940年の5月にドイツ陸軍に入隊し、翌年のバルバロッサ作戦で戦車部隊に参加。終戦まで東部戦線や北部戦線での激戦を戦い抜いた歴戦の勇者です。

 有名な出来事は1944年7月20日の「マリナーファの戦い」と呼ばれている戦闘で、わずか2両のティーガー戦車でソ連戦車旅団を奇襲。IS2スターリン戦車17両を含む敵22両を短時間で撃破したことで知られています。
 ソ連にしてみれば、空の撃墜王エリッヒ・ハルトマンやルーデル大佐同様、にっくき相手。彼ほどソ連から憎まれた戦車長はいないと言われる有名人です。
https://onemore01.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_18f/onemore01/m_Bundesarchiv_Bild_101I-461-0213-342C_Russland2C_Panzer_VI_(Tiger_I)_wird_aufmunitioniert.jpg
東部戦線でのティーガー(1943年6月)

 ドイツのトップエースは、この他にミヒャエル・ヴィットマン(1914?1944:撃破スコア戦車138両)、クルト・クニスペル(1922?1945:撃破スコア戦車168両)などいますが、カリウス氏の戦い方は、「ヴィレル・ボカージュの戦い」で勝機を逃さぬためには単独攻撃も辞さなかったミハエル・ヴィットマンとは対照的で、事前の準備をしっかりと行い、地形の把握や敵情視察を欠かせない人でした。単独行動も控え、味方戦車や歩兵と連携を最も重視する人であったようです。
 この点、一機で敵に切り込んで戦う撃墜王ハンス・ヨアヒム・マルセイユと、連携重視でスコアを重ねるエリッヒ・ハルトマンとの比較にも似ていると思います。

 野球選手で例えるなら記憶に残る長嶋茂雄か、記録に残る王貞治のような感じですね。

 オットー・カリウスは戦後は薬剤師となり、故郷のラインラント・プファルツ州で薬局を経営します。
 店名は乗車した戦車の名前にちなみ「ティーガー薬局」。
 死去は同薬局のホームページで公表され「短い闘病生活の後」に亡くなったということです。
 回顧録の「泥の中の虎」は邦訳もされており(邦題=ティーガー戦車隊・上下 巻)、宮崎駿氏の著書「宮崎駿の妄想ノート『泥まみれの虎』」の原作にもなりました。

 彼のティーガーは、タミヤのプラモデルにもなり、彼自身もフィギュア化もされています。

晩年のカリウス氏、良いお顔をされています。ご冥福をお祈りします。

タイガー薬局のHP
http://www.tiger-apotheke.de/




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