したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が900を超えています。1000を超えると投稿できなくなるよ。

投資戦略1905

857WS:2024/07/16(火) 05:55:13

ジェシー・リバモア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%A2%E3%82%A2
アメリカの投機家・相場師。空売りを得意とした。
15歳のとき年上の同僚から差金決済取引の原型となるバケット・ショップに誘われ、3ドル12セントを儲けた時から投機家へと足を踏み出す。
1897年、 ニューヨーク証券取引所に発注する実際の株取引を開始するが、6ヶ月足らずで破産する(1度目の破産)
1901年、強気の相場に乗り5万ドル(現在の貨幣価値で20億円程度)の資産を作る。
1906年、世界経済の情勢を分析して、この5万ドルを空売りに投じる。
      直後の株価の反騰の波に飲まれ、5月に2度目の破産。
1907年、2度の破産から立ち直り、100万ドル(現在の貨幣価値で200億円)の資産を保有するようになる
1908年、コットン相場の大暴落で綿花の買い占めに失敗、莫大な負債を抱える
1915年2月18日、破産を申請、受理される(3度目の破産)。
1917年 債権者達に負債を完済。
1929年9月4日、世界恐慌の引き金となった暗黒の木曜日10月24日、リバモアは大量の売りポジションを持っており、もし彼がこのまま売り続ければNY市場は本当に崩壊しかねない状態であった
ついにJ・P・モルガンがリバモアにわざわざ使いをよこし、市場を救済するため、これ以上の売りは行わないよう要請してきた。
これを受け翌10月25日の朝、リバモアは猛然と買い戻しに入り、主要なあらゆる株をも買い捲る行動に出た。
これをきっかけに市場の流れは変わり、暴騰相場が始まった。銀行家達は、リバモアの愛国的な行為に感謝した
リバモアはこの日1億ドル(現在の貨幣価値で4000億円)以上の利益をあげ、「ウォール街のグレートベア」の異名を取った。
1934年3月5日、4度目の破産。

1940年3月、息子ジェシー・ジュニアの勧めから『How to Trade in Stocks』を著すが評判はいま一つであった。
同年11月28日、ニューヨークのホテルの一室で
 「どうしようもない。事態は悪くなるばかりだ。私は戦うのに疲れた。もう続けていけない。私にはこれしか方法がない。私は君の愛には値しない。私は失敗者だ。本当にすまないが私にはこれしか方法がないのだ」
 と書かれた遺書を妻に残し、ピストル自殺を遂げた。
 晩年はうつ病を患っていた。
彼が死に際して残した信託と現金は500万ドルにのぼっていた。

投機手法
トレンドに従うという所は後世まで一貫しているが、年代や時期に応じて異なった手法を取った。
初期における手法 超短期の売り買いを繰り返すスキャルピング
ニューヨーク取引所へ復活 長期的なトレンドフォロー型のトレーディングスタイル
ピラミッティング 増し玉を使ったトレード手法
株価操縦 リバモアは現金ではなく代わりに株価が上昇した暁に利益を得られる新株予約権を受け取るといった形で報酬を受け取っていた。

彼の空売り・破産・自殺は、ボストンの銀行家の父を持つジョセフ・P・ケネディ (ジョン・F・ケネディの父) のRCAラジオ株取引による大儲けと、よく対比される。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板