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992WS:2022/04/12(火) 06:06:20
帆船時代の捕鯨船
https://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/essay/181123whaleb.html
19世紀半ばはまさにアメリカ捕鯨の黄金期であった。全米で約7万人が捕鯨産業に携わり、7000万ドルの資本が投下された。最高収益を記録した1853年に捕獲された鯨は8000頭以上、生産高はマッコウ鯨油 10万3000バレル、鯨油 26万バレル、鯨ヒゲ 570万ポンド、締めて 1100万ドルの売上になった。アメリカ商船の登録積載トン数の約5分の1が捕鯨船であり、捕鯨はアメリカ第5位の産業に成長した。ニューベッドフォードを擁するマサチューセッツ州では製靴と綿織物に次ぐ第3位の産業であった。
メルヴィルの「白鯨」(1851)に描かれた物語を実地でゆく船長や鯨捕りたちが生きた時代であり、銛を手にした一介の船員が腕と度胸で伝説的地位を獲得出来た時代であった。

1849年にゴールドラッシュが起こると、艤装作業員も船員もこぞって船を放棄して金鉱探しに向かった。航海収益をもとに歩合で給金を得ていた鯨捕りは航海が長引くほど実質的な実入りが少なくなっていたし、もともと職業リスクが高かったのである。大工や人夫としてクチがあるなら、その方が何倍もの稼ぎになった。また当時のアメリカは繊維産業が興隆し、労働者の目も資本家の目もむしろそちらに向かっていった。
1860年代には南北戦争が起こって打撃を与えたし、70年代には大きな海難事故が相次いで捕鯨業のリスクを今更ながら露わにした。世紀に亘る乱獲によって市場価値のある鯨の数が激減していた。
1850年代にはすでに照明油として鯨油よりも石炭ガスや灯油(ケロシン)のシェアが大きくなっていたが、59年にペンシルバニアで油田が発見されるとまたたく間に原油生産量が増え、62年には300万バレルに達した。原油はほとんどが灯油に精製されて、あらゆる照明油市場を席巻していった。
1870年にはアメリカ捕鯨船の数は321隻に半減し、80年は178隻となった。捕鯨船を出漁させたのはわずか12港、それも多くが気息奄々の態であった。アメリカ捕鯨の時代は去ろうとしていた。

今日、アメリカは捕鯨の国ではないが、ボストンから 60km ほど南の港湾都市ニューベッドフォードに捕鯨博物館があって、かつての繁栄を偲んでいる。
ニューベッドフォードの港
捕鯨船の 1/2 スケール模型。
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