レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
ネタリンク
-
アブなすぎる害獣図鑑
https://agri.mynavi.jp/2018_11_28_49975/
ウサギ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%82%AE
バイオテクノロジーでオーストラリアの生態系は取り戻せるか
https://wired.jp/2002/09/17/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B%E7%B3%BB%E3%81%AF/
何百万年も孤立していたオーストラリアの生態系は、18世紀後半のヨーロッパ人の入植以来、激しく変化してきている。
過去200年間でオーストラリアの哺乳類在来種の半数近くが姿を消しており、世界における哺乳類の絶滅例で最悪の記録となっている。
オーストラリアにはびこるウサギは膨大な数にのぼるし、ネズミも周期的に大量発生している。そこで研究者たちは、短期間に免疫学的避妊法を行き渡らせるコストのかからない方法を模索している。現在研究を進めている方法の1つは、ウイルスに避妊薬を運ばせ、特定の有害動物の間に自然に広めるというものだ。
マーベラス・メルボルン「ウサギの大繁殖」
https://nichigopress.jp/column/marv-mel/173408/
1859年、ビクトリア第2の都市で農業産品の出荷港であるジーロン郊外の大牧場の牧場主トマス・オスティンが、イギリスから競技ハンティング用として24匹の野生ウサギを輸入し、所有するバーウォン牧場に放った。
当時、オーストラリアの羊の数は1,500万頭に達して、富裕な大牧場主の中には英国紳士を気取ってウサギ狩りを始める者が増えていた。
イースターのウサギに代表されるように、ウサギは多産系の動物として有名で、60年代になると増えすぎたウサギが被害を与えるようになった。
1900年ころには、年間1,000万頭のウサギの肉が輸出された。駆除のためにテン、イタチなどの天敵の導入が図られ、大掛かりな防御柵が作られ、毒薬も多く試された。
しかし、広範囲な環境破壊や他の動物を殺す被害を引き起こしただけで効果はほとんどなかった。
最大の問題点は99%を駆除しても、残りの1%により3年間で元の数字に戻ることであった。
被害が収まったのは、ウサギ特有の病気によってだった。1931年にミクサマトウシスという病気を持ったウサギが発見された。この病気による死亡率は100%で、感染したウサギは次々と死んでいったのである。
しかし、この病気も特効薬ではなく、1988年にはSA州で8,000万頭のウサギが記録されており、その後も大きな被害を与え続けた。オーストラリアで動植物検疫が非常に厳しいのは、ウサギの大被害に学んだことによる。
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板