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新聞王
ウィリアム・ランドルフ・ハースト(英語: William Randolph Hearst, 1863年4月29日 - 1951年8月14日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
カリフォルニア州サンフランシスコ生まれのアメリカ合衆国の実業家、新聞発行人。
新聞王と呼ばれた。
アメリカの メディア・コングロマリット、ハースト・コーポレーションの創業者。
映画『市民ケーン』のモデルとしても有名。
1887年、父親が賭博の担保として入手した「サンフランシスコ・エグザミナー」を譲り受ける。彼は同紙を「ザ・モナーク・オブ・ザ・デイリーズ」に改名、最良の設備と才能ある作家を得ることになる。
汚職の暴露と、インスピレーションで満たされた物語を数多く発表
1895年にはニューヨーク・モーニング・ジャーナル紙を買収し、ジョーゼフ・ピューリツァー(ニューヨーク・ワールド紙の所有者)との発行競争が勃発。
購読者数を増加させるために両紙は、キューバの暴動に関する記事を多く掲載していくことになる。
両紙の記事は、真実を伝えるものよりも市民感情を煽るショッキングなものが多かった。
例えば、スペイン軍がキューバ人を強制収容所に入れ、彼らが疾病と飢えで苦しみ死んだなどという捏造記事やでっち上げ記事で民意をコントロールし、スペインとの戦争(米西戦争)までを引き起こしている。
1920年代にはカリフォルニア州サン・シメオンの240,000エーカー(970 km2)の農場に動物園付きの絢爛豪華でやや悪趣味な城を建造(通称ハースト・キャッスル)。
このころ、元女優のマリオン・デイヴィス(本名マリオン・セシリア・ダグラス、1897 - 1961)と知り合い、妻と別居して、マリオンと暮らし始める。
初めてハーストと出会ったころのマリオンは、まだ10代半ばのショーガールだったが、50代のハーストはひと目でマリオンの容姿と性格を気に入り、直ちに彼女のパトロンに納まった。
そして愛人であるマリオンのために、わざわざ映画制作会社(コスモポリタン社)まで設立。
強引に彼女を映画女優に仕立て上げデビューさせただけでなく、自分が発行する新聞社の記事で彼女を大々的に宣伝した。
しかし、その露骨なまでに愛人をプッシュする売り出し手法は大衆をおおいにしらけさせる結果となった。
マリオンは結局大スターにはなれず、晩年はハーストの経営する新聞社の経営難により、芸能活動をすることが困難になり1937年に引退。
ピーク時には彼はいくつかのラジオ放送局および映画会社に加えて、28の主な新聞および18の雑誌を所有。
しかしながら、世界恐慌は彼の財務状態を弱めた。
1940年頃になると彼は巨大なコミュニケーション帝国のコントロールを失っている。
ハーストの生涯はオーソン・ウェルズの映画「市民ケーン」の中でも描かれている。
ハーストはこの映画の製作を察知し、映画が自分とマリオン・デイヴィスを侮辱していると考え、その公開を妨害しようと持てる影響力をすべて行使した(評論家の買収や、劇場への圧力など)。
ちなみにこの事実は後に「ザ・ディレクター [市民ケーン]の真実」の題名でTV映画化されている。
映画「市民ケーン」
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/34/Citizen-Kane-Welles-Podium.jpg
KANEと読めるのが笑える
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