マーフィーの法則 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
「マーフィーの法則」の「マーフィー」はエドワード・A・マーフィー・ジュニアに由来する。
彼はアメリカ空軍による急減速に関する研究プロジェクト「MX-981」に関わった。
MX-981プロジェクトはこの法則の名前の原点としての伝説の他、プロジェクトリーダーのジョン・スタップ自らの志願により人体を使った実験が行われたことでも知られるように、トラブルが大きな危険につながる研究であった。
アーサー・ブロックに、ジョージ・E・ニコルズから寄せられた手紙の内容に基づく、以下のようなエピソードが伝えられている。
1949年、エンジニアのマーフィーは、空軍研究所からエドワーズ空軍基地に来て、strap transducer(加速度計)に発生した異常を調べ、ひずみゲージのブリッジにあった(誰かの)配線間違いが原因であるとつきとめた。
その際に、"If there is any way to do it wrong, he will"(「いくつかの方法があって、1つが悲惨な結果に終わる方法であるとき、人はそれを選ぶ」(アスキー出版『マーフィーの法則』(1993)、p. 270 の訳文)、"he"は「間違えた誰か」を指している)と言った、という。
数週間後に、プロジェクトリーダーのジョン・スタップ少佐(当時)が、プロジェクト外の人物も含まれる場でこれについて紹介したのが、プロジェクト外にも広がったきっかけとされる。
その結果、この「法則」は軍部内に広まり、各種技術雑誌から一般雑誌・新聞の話題へと広がって行った。
そして1977年には『Murphy's Law and Other Reasons Why Things Go WRONG』が出版され、これは全米のベストセラーにまでなり、いまなおウェブサイトや単行本、シンクタンクなどで話題を賑わしている、というものである。