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セイラム魔女裁判(英語: Salem witch trials)
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%AD%94%E5%A5%B3%E8%A3%81%E5%88%A4
現在のアメリカ合衆国ニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で1692年3月1日に始まった一連の裁判である。
200名近い村人が魔女として告発され、19名が刑死、1名が拷問中に圧死、2人の乳児を含む5名が獄死した。
近世キリスト教世界の広い範囲に及んだ魔女裁判(魔女狩り)という現象の植民地アメリカにおける例であり、犠牲者数はヨーロッパの事例と比べれば際立ったものではないものの、現代では近世の魔女裁判の中で最も有名な事件であると考えられている
発端
セイラム村の牧師サミュエル・パリスの娘ベティと従姉妹アビゲイル・ウィリアムズは、友人らとともに親に隠れて降霊会に参加していた。
その術中、アビゲイルが突然暴れだすなど奇妙な行動をとるようになり、2人は医師によって悪魔憑きと診断された。サミュエルは南アメリカ先住民の使用人ティテュバを疑い、彼女を拷問してブードゥーの妖術を使ったことを「自白」させた。
ティテュバの自白以降、降霊会の参加者である更に多くの少女たちが、次々と異常な行動をおこすようになり、近隣のジョン・ヘイル牧師を招聘して悪魔払いが行われたが、失敗した。
その少女らは、12歳の娘アン・パットナム、17歳のマーシー・ルイス、アンの親友で17歳のメアリー・ウォルコット、メアリー・ウォーレン、スザンナ・シェルドンらだった。
中でも、アンはセイラムで最も実力がある一家の娘であり、アンの両親が娘の主張を支持したことが、追及の大きな弾みとなった。
サミュエルが娘たちを詰問したところ、娘たちは村内での立場の弱かったティテュバ、サラ・グッド、サラ・オズボーン3名の名前を上げた。
この告発は、ウィリアム・グリッグスの協力を得た、10代の少女たち、特にエリザベス・ハバードによって始められた。
裁判の始まり
1692年2月29日、ティテュバ、サラ・グッド、サラ・オズボーンの3名に対して逮捕状が出される。
3月1日、セイラム村には判事がいなかったため、近隣のセイラム市から判事を招き、3人を収監するための予備審査が開かれた。
サラ・グッド、サラ・オズボーンは容疑を否認したが、証人として列席していた悪魔憑きの娘たちが暴れだして、二人が霊を使役していると証言したため、共に有罪とされた。
ティテュバは、「自白すれば減刑される」というピューリタンの法解釈から悪魔との契約を認め、求められるままに証言を行った。
ティテュバが他の関係者の存在を示唆したことから、再度娘たちが詰問され、マーサ・コーリー、レベッカ・ナース、ジョン・プロクター夫妻らが次々と告発された。
こうして最終的に100名を超える村人が告発され、収監施設がパンク状態に陥った。
特別法廷の設置
5月27日、マサチューセッツ総督ウィリアム・フィップスはオイヤー・アンド・ターミナー裁判所(巡回裁判所、特別法廷と翻訳・解説されることもある)を設置、ウィリアム・ストートンが主席判事となった。
6月2日より審理が行われ、有罪を宣告された被告は6月10日から順次絞首刑に処せられた。
しかし秋頃には娘たちの証言に疑問を呈する者が出始めた。10月にボストンの聖職者から総督に上告が出され、事態を知った総督は、10月29日にオイヤー・アンド・ターミナー裁判所を散会させ、更なる逮捕を禁じた。
事態の収束
引き続き拘束された人々については高等裁判所で審理が行われ、多くは無罪判決を受けた。
1693年5月、収監者に対し大赦を宣言して事態は収束した。
裁判にも関与したジョン・ヘイル牧師は、死後に発表された手記の中で「我々は暗雲の中に道を見失った」と記している。
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