したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

ネタリンク

734WS:2021/09/09(木) 19:34:23
ヨーロッパにおける魔女狩り
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A5%B3%E7%8B%A9%E3%82%8A
古代以来、何らかの超自然的な手段で他者を害することのできる人がいると信じられていた。
ヨーロッパにおいてこの信仰はラテン語でマレフィキウムと呼ばれる「害悪魔術」の概念につながっていく。
ギリシア語のパルマコン(pharmakon)は医薬と毒薬という両義性を持つ言葉で、これから古代ギリシアで妖術に相当するパルマケイア (pharmakeia)という言葉が派生した。
イオニアの古代都市テオースで、毒ないし悪しきまじない(pharmaka deleteria)で人や国家に危害を加える者は死すべし、という禁令があったことを示す史料があり、他の都市にも同様の掟があったと考えられる。
古代ローマではいかなる魔術も犯罪として処罰の対象であった。
共和政ローマ最初期の成文法『十二表法』では、超自然的な方法で他人の畑作物を自分のものにする行為などに対する刑罰が規定されていた。
リウィウスの『ローマ建国史』によると、疫病で多数の死者が出た前331年に、170人がウェネフィキウム(veneficium、毒殺ないし妖術)の嫌疑をかけられて処刑された。
さらに前2世紀には妖術の廉で数千人規模の人々が処刑される事件が数回起こったという(前184年に約3千人、前182-180年に約9千人)。
社会不安の高まりがパニックを引き起こしたことや拷問の横行など、後のヨーロッパの魔女狩りと同様の特徴がみられる。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板