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725WS:2021/08/31(火) 02:41:09
太宰治(1909年〈明治42年〉6月19日 - 1948年〈昭和23年〉6月13日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB
日本の小説家。本名は津島 修治。 左翼活動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。
主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。
戦後は、その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳、壇一雄らとともに新戯作派、無頼派と称されたが、典型的な自己破滅型の私小説作家であった>

結婚、作家活動
1938年(昭和13年)、井伏鱒二の紹介で山梨県甲府市出身の地質学者・石原初太郎の四女の石原美知子と見合い。
翌年1月8日、井伏の自宅で結婚式を挙げる。
9月1日、東京府北多摩郡三鷹村下連雀に転居。精神的にも安定し、『女生徒』『富嶽百景』『駆け込み訴へ』『走れメロス』などの優れた短編を発表した。『女生徒』は川端康成が「『女生徒』のような作品に出会えることは、時評家の偶然の幸運」と激賞、原稿の依頼が急増した。

1941年(昭和16年)、文士徴用令に呼ばれるが、身体検査で肺浸潤とされて徴用免除される。
1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲に遭い、美知子の実家の甲府に疎開。7月6日から7日にかけての甲府空襲で石原家は全焼。津軽の津島家へ疎開。終戦を迎えた。

1947年(昭和22年)
没落華族を描いた長編小説『斜陽』を『新潮』に連載。12月15日、単行本として出版されるとベストセラーになり、「斜陽族」が流行語となるなど流行作家となる。
登場人物のモデルとなった歌人太田静子との間に娘の太田治子が生まれ、太宰は認知した。

1948年(昭和23年)、『人間失格』『桜桃』などを書きあげる
1948年(昭和23年)6月13日、玉川上水で愛人の山崎富栄と入水した。満38歳没。
2人の遺体は6日後の6月19日、奇しくも太宰の39回目の誕生日に発見され、この日は彼が死の直前に書いた短編「桜桃」にちなみ、太宰と同郷で生前交流のあった今官一により「桜桃忌」と名付けられた。




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