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559WS:2019/12/05(木) 23:42:46
ヤジロウ(弥次郎、1511年(永正8年)頃? - 1550年(天文19年)頃?)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B8%E3%83%AD%E3%82%A6
史料上確かな最初の日本人キリスト教徒と目される人物。
ヤジロウは、ヤジロー、または当時の音韻からアンジロウ(アンジローとも)、洋風にアンジェロ(天使の意)ともいわれる。
彼はフランシスコ・ザビエルの通訳者、神(デウス)概念や聖句などの翻訳者として活躍し、日本の西日本地域で布教・宣教活動に従事した。
一説では豪族禰寝氏庶流池端氏の可能性が指摘されている。
ザビエル離日後のヤジロウについては、ルイス・フロイスなどの証言があるものの、彼がいかなる人生を送り、どこで亡くなったかは不確かである。

ヤジロウは薩摩国あるいは大隅国(両国とも鹿児島)の出身である。
彼自身やザビエルの書簡によれば、彼は若い頃に人を殺し、薩摩や大隅に来航していたポルトガル船に乗ってマラッカに逃れた。
その罪を告白するために彼はザビエルを訪ねたという。
二人を引き合わせたのは、天文15年(1546年)に薩摩半島最南部の山川にやって来たポルトガル船船長のジョルジュ・アルヴァレスである。
船長はマラッカへ帰る際ヤジロウを乗船させ、ザビエルを紹介した。
ヤジロウはもとは貿易に従事していたと考えられている。フロイスの『日本史』では海賊(“八幡”(ばはん))であったと書かれている。

ザビエルの導きでゴアに送られたヤジロウは、1548年の聖霊降臨祭にボン・ジェス教会で、日本人として初めて洗礼を受けた。
洗礼により彼は「パウロ・デ・サンタ・フェ(聖信のパウロ)」の霊名を授かった。その後、彼は同地の聖パウロ学院でキリスト神学を学んだ[5]。
ヤジロウはザビエルから、日本でキリスト教の布教をした場合を問われ、スムーズに進むだろうと答えた。
ヤジロウの人柄と彼の話す日本の様子を聞き、ザビエルは日本での活動を決意した。

1549年4月19日、ヤジロウはザビエルに従いゴアを離れ、同年8月15日に鹿児島に上陸。
ここに日本におけるキリスト教布教の第一歩を記した。

その後のヤジロウの生涯については不詳である。
上記フロイスの記述によればザビエルの離日後、ヤジロウは布教活動から離れて海賊の生業に戻り最後は中国近辺で殺害されたという。




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