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556WS:2019/12/05(木) 23:27:52
イエズス会 Societatis Iesu
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%82%B9%E4%BC%9A
キリスト教、カトリック教会の男子修道会。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設され、1540年にパウルス3世により承認された。
世界各地への宣教に務め、日本に初めてカトリックをもたらした。
なおイエズスは、中世ラテン語による Iesus(イエス・キリスト)の古くからのカトリックの日本語表記である。

イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれた。
このような軍隊的な呼び名は創立者イグナチオ・デ・ロヨラが修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊ですごしたことと深い関係がある。
現代では六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。
これはカトリック教会の男子修道会としては最大規模のものである。
イエズス会の主な活動は高等教育と研究活動といった教育活動であり、宣教事業や社会正義事業と並んで活動の三本柱となっている。

中国や古くの日本では「イエス」の漢訳が耶?であることから耶?会(やそかい)とも呼ばれた。
ジェズイット (Jesuit) 教団とも。

創設
1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志がパリ郊外のモンマルトルの丘の中腹のサン・ドニ大修道院教会堂に集まり、ミサにあずかって生涯を神にささげる誓いを立てた。
この日がイエズス会の創立日とされている。

「モンマルトルの誓い」のメンバー(7人)
イグナチオ・デ・ロヨラ(1491年 - 1556年)
ピエール・ファーヴル(1506年 - 1546年)
フランシスコ・ザビエル(1506年 - 1552年)
ディエゴ・ライネス(1502年 - 1565年):第2代総長
アルフォンソ・サルメロン(1515年 - 1585年)
ニコラス・ポバディリャ(1507年 - 1562年)
シモン・ロドリゲス(1510年 - 1579年)

イエズス会の活動分野
 第一は高等教育であり、ヨーロッパ各地で学校設立の願いを受けてイエズス会員は引く手あまたであった。イエズス会員は神学だけでなく古典文学にも精通していることが特徴であった
 第二の活動分野は非キリスト教徒を信仰に導く宣教活動であった。
 第三はプロテスタントの拡大に対するカトリックの「防波堤」になることであった。
イエズス会員の精力的な活動によって南ドイツとポーランドのプロテスタンティズムは衰退し、カトリックが再び復興した。

ロヨラが1554年に改定した会憲では、イエズス会が総長をトップとする組織であることが明記され、教皇と会の長上への絶対的な従順を会員に求めた
(イグナチオは「死人のごとき従順」(perinde ac cadaver) という言葉を用いている)。
彼の座右の銘はイエズス会の変わらぬモットーとなった。
それは「神のより大いなる栄光のために」(Ad Majorem Dei Gloriam) である。
これは「どんな活動でもよい意志をもって精力的におこなえばかならず神の国のためになる」という精神を表している。
ロヨラは教皇への忠実を以下のように表現する。
「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう」

ロヨラによれば、カトリック教会の改革の基本は一人ひとりの内的改心にあった。
イエズス会員たちは個人の改心のための方法としてロヨラの編み出した霊的指導いわゆる「霊操」を用いた。
霊操は、沈黙のうちに行う一ヶ月の黙想のプログラムで、これを授かるものは毎日異なるテーマについて黙想し、司祭による定期的な指導を受けながら、神が自分に望まれていることは何かを考えていく。
霊操は、清めから照らし、統一へとすすむヨハネ・カッシアヌスと砂漠の教父たち以来の神秘主義の伝統にのっとっている。
ロヨラの「霊操」は、神秘主義の黙想の伝統に即しながら、一般の人が実生活の中で行えるように、さらにはカトリック教会の内的刷新に貢献できるようにデザインされていることに意義がある。




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