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339WS:2012/12/01(土) 09:40:40
植民地
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0

フランス
フランスは当初、カナダのケベックとカリブ海のマルティニーク島、グアドループ島に入植したが、七年戦争でイギリスに敗れ、カナダを放棄した。
西アフリカのセネガルも古くからのフランス植民地であった。
19世紀になってイスラム圏であるアルジェリアと東洋の仏領インドシナ、南太平洋の仏領ポリネシアのタヒチやニューカレドニアなどの植民地化に成功した。
これらの植民地も第二次世界大戦後民族独立の波に乗って次々に独立していった。
なおタヒチでは、1990年代フランス政府の核実験に反発した地元住民を中心とした解放機構が、植民地支配からの独立を訴えたが、
大統領のジャック・シラクは「タヒチはフランスの一部である」と言明し核実験を実行、現在も独立闘争が続いている。

フランスの植民地帝国。第1次(緑)と第2次(紺)
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/131Etendue_de_l%27Empire_Fran%C3%A7ais.png/800px-131Etendue_de_l%27Empire_Fran%C3%A7ais.png

フランス植民地帝国
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%B8%9D%E5%9B%BD

フランスの海外県・海外領土
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%A4%96%E7%9C%8C%E3%83%BB%E6%B5%B7%E5%A4%96%E9%A0%98%E5%9C%9F


オランダ
17世紀から18世紀にかけて帝国主義的な植民地大国としてオランダ海上帝国と呼ばれる。
特に17世紀前半はオランダの黄金時代であった。20世紀に入っても東インド植民地(蘭印、インドネシア)や南アメリカの植民地(スリナム)を支配していた。
しかし度重なる英蘭戦争で北米の植民地を奪われ、更に南アフリカの植民地も超大国に成長したイギリス帝国に敗れ失うなど、列強としてのオランダの国際的地位は凋落して行った。

20世紀にはインドネシア、スリナムが独立し、ほとんどの領土が失われたが、現在でもカリブ海にオランダ領アンティル、アルバの二つの海外領土を持っている。

オランダの植民地(17世紀から20世紀までを重ね合わせたもの)
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オランダ海上帝国
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E5%B8%9D%E5%9B%BD


ロシア(ソビエト社会主義共和国連邦)
ロシア帝国は16世紀、モスクワ大公国がキプチャク汗国から自立し、周囲のスラヴ人の国々を飲み込んでその領土を広げた。
16世紀にロシア平原を統一してロシア帝国を成立させると、東へと征服をすすめ、18世紀頃までにはシベリアをほぼ征服した。
シベリアの遊牧民を支配下に組み込み勢力を広げた。シベリア制圧を終えると進路は南へ変わり、中央アジアの多くの汗国を侵略、植民地化した。
さらにシベリアの南に広がる清とぶつかり、ネルチンスク条約やキャフタ条約によって国境を定めたが、19世紀に清が弱体化すると、アヘン戦争やアロー号事件に乗じ、満州のアムール川以北と沿海州(外満州)を次々に併合、植民地化した。

東方の併合が一段落すると、続いて中央アジアを武力併合、バルカン半島へ進出し、オスマン帝国と幾度も衝突した(南下政策、汎スラヴ主義)。
領土拡張主義は日露戦争や第一次世界大戦によって日本、ドイツなどとぶつかり合ったが、第一次大戦中共産主義者によるロシア革命が起こってロシア帝国は滅んだ。
拡大した領土はそのままソビエト社会主義共和国連邦に引き継がれ、中央アジア、南コーカサス、非ロシア・スラヴ地域は構成共和国として連邦に加盟し、それ以外はロシア共和国領となった。
1941年にはバルト三国を、併合した。
また、第二次世界大戦後に、東欧諸国を中心としてソ連の影響下に置かれた社会主義国も、名目上独立国であるが、衛星国と呼ばれ、植民地的な側面も見られる。
冷戦終結とその後の混乱でソ連が崩壊すると、バルト三国をのぞく旧ソ連構成国はCIS(独立国家共同体)を結成して独立し、ロシア連邦内にとどまったシベリア、極東ロシアでも、多くの地域が共和国を構成して自治が行われている。
また、東欧諸国でも、ソ連の指導下にあった一党独裁体制が崩壊し、その勢力圏から離脱することになった。

ロシアの植民地及び影響下にあった地域
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