したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

ネタリンク

304WS:2012/11/23(金) 07:34:11
銃剣道
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%83%E5%89%A3%E9%81%93
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d7/%E9%8A%83%E5%89%A3%E9%81%93.JPG/800px-%E9%8A%83%E5%89%A3%E9%81%93.JPG
旧日本軍において訓練されていた銃剣術を、太平洋戦争後に競技武道化したものである

日本では幕末に銃剣術が伝えられた。1841年(天保12年)、高島秋帆が武州徳丸ヶ原(現・東京都板橋区高島平)で行った日本初の洋式銃陣の公開演習の際、銃剣操練も実演された。本格的に採用されたのは明治維新後である。

1884年(明治17年)、陸軍戸山学校にフランス陸軍から教官を招聘して、正剣術(フェンシングのフルーレ)、軍刀術(フェンシングのサーブル)、フランス式の銃剣術が本格的に戦技として指導・研究された。

1887年(明治20年)にフランス人教官が帰国すると、フェンシングや西洋式の銃剣術を取りやめ、日本の伝統的な剣術や槍術を元にした独自の軍刀術や銃剣術を制定する動きが起こった。銃剣術については、まだ槍術が指導されていた宮内省済寧館に戸山学校教官を派遣して槍術を研究させた。

1890年(明治23年)、戸山学校長・大久保春野大佐は、フランス式剣術・銃剣術の廃止と日本式軍刀術・銃剣術の制定を決定した。銃剣術についてはその後、戸山学校体操科長で剣術家(津田一伝流第2世)の津田教修大尉を中心に宝蔵院流槍術の伝書などを研究し、1894年(明治27年)、宝蔵院流や佐分利流などの日本の伝統的な槍術をもとにした日本独自の銃剣術を制定した。

現在、陸上自衛隊では、同自衛隊により制定された銃剣格闘とともに訓練されている(但し、隊員各個の技量向上というよりは競技会等の優勝という部隊の名誉を主目的とした訓練であり、主として臨時に訓練隊を編成し要員は一般部隊着隊後各部隊から選抜され、部隊の訓練がまともに出来ない隊員の養成所としている部分が存在する事と、かつ曹昇任者の大半が訓練隊出身という弊害も発生している)。航空自衛隊においても訓練されており、男性自衛官は段位取得が必須である。近年は一般競技者が減少しているため、自衛官が競技人口の大半を占めている。

旧日本軍や自衛隊との関係が深いことから、一般的に戦技色の濃いイメージがあるが、現在の銃剣道の統括組織である全日本銃剣道連盟は、「戦前の戦技的内容を払拭した競技武道」としており、一般に受け入れられやすいようにスポーツ色を強めようとしている。戦技色の払拭のため、軍服を思わせる白い筒袖の胴着(格技服)から、剣道と同じ紺色の袴へ変更された。ただし従来の格技服も平行して使用され続けている。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板