ダブルスピークは第二次世界大戦前、ナチス・ドイツやソビエト連邦などでも広く使われていた。ヨーゼフ・ゲッベルスやドイツ宣伝省は数多くの新語や婉曲語を世に送り出した。「Heim ins Reich」(ドイツ国への回帰)はオーストリア併合のことであった。「ユダヤ人問題の最終的解決」はホロコーストに至ることとなった。またプロパガンダを通じ、Volk(人民、大衆)やRasse(民族)といった言葉に新たな意味を付与していった。日本においても、「大東亜共栄圏」「五族協和」「八紘一宇」といった麗しい字面の言葉が大陸進出時には用いられており、第二次大戦末期にはたとえば撤退を「転進」、全滅を「玉砕」、避難を「疎開」、被撃墜を「自爆」と言い換えて、前線の縮小や劣勢という事実に対する国民の印象を変えようとする努力がなされた。疎開は本来は前向きな意味をもつ語であったが、「避難」のダブルスピークとして濫用され今日では意味が変化した。戦後も敗戦が「終戦」と言い換えられている。アメリカにおける日系人の強制収容の例では、強制収容所をRelocation Centers(転住センター)と言い換えていた。