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同人

211WS:2015/05/03(日) 06:02:07
島風
ttp://wikiwiki.jp/kancolle/?%C5%E7%C9%F7
高速重雷装の最新型、島風型駆逐艦の1番艦。
40ノットを超える韋駄天の高速性に加え、
零式5連装魚雷発射管×3基15射線という、重雷装巡洋艦に迫る雷装を誇る、超高級駆逐艦


島風
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E9%A2%A8_%28%E5%B3%B6%E9%A2%A8%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6%29
1941年(昭和16年)に起工した大日本帝国海軍の一等駆逐艦
機関
ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基2軸 75,000hp
速力 40.37ノット(≒75.5km/h)
竣工時は練成部隊である第十一水雷戦隊に配属。
この当時は龍田が旗艦。第三次ソロモン海戦で戦没した暁を除く第六駆逐隊も所属。

1943年7月29日
初陣はキスカ島撤退作戦。濃霧でも索敵できる二号二型電探と三式超短波受信機(逆探知装置)を搭載していたから。
第21駆逐隊の司令駆逐艦・若葉が駆逐艦初霜との衝突事故で後退したため、この駆逐隊の旗艦も兼務。
この作戦中、彼女は敵艦と誤認した「島」に向けて旗艦阿武隈と共に魚雷を発射、全弾命中。
これが皮肉なことに、五連装酸素魚雷発射管3基15門という強力な兵装が挙げた唯一の「戦果」だった。

1943年9月2日、訓練中に演習用魚雷を駆逐艦響に命中させ、響はスクリューを損傷。

1943年9月15日南方へ進出。
そのときの相棒は長波。

レイテ沖海戦
1944年10月26日、能代の沈没にともない、栄光の「華の二水戦」旗艦に指定され将旗を継承
11月11日に島風は戦没することとなったため、二水戦旗艦であったのは僅かに16日間
ただ、二水戦旗艦を駆逐艦が務めた例は長波や霞など他にもある。

第三次多号作戦
搭載魚雷を全弾投棄後、第二水雷戦隊(二水戦)司令官早川幹夫少将の将旗を掲げ突撃。
狭いオルモック湾内にも関わらず、彼女自身の言う「疾きこと、島風の如し」に違わぬ屈指の速力と的確な操艦で雷爆撃を全弾回避
しかし数多の至近弾や機銃掃射により船体を蜂の巣にされ浸水、航行不能
救助に駆けつけた朝霜が近接を断念
最期はオーバーヒートした機関が爆発、艦体後部からオルモック湾に没していくという壮絶なものだった。
この時「仲が良い」長波も同時に沈没
『島風や 舞鶴レイテ 呉の碑よ』

この名前実は二代目。初代は峯風型駆逐艦の四番艦。初代の島風も当時の日本記録ホルダー(40.7kt)であった。
二代目は「君も帝国海軍最速であれ」と願を掛けて名づけられている。




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