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どうでもいいことを語るスレ

174くす:2004/06/28(月) 04:18
 ビンゴ! まさしくその通り。でもナイスガイな僕のことだから、もっとオブラートに包んで書くのだ。決してアイスのように「ハーたんのぶっかけ画像キボンヌ」などとは言わないのだ。
 とはいえ、一度は消えてしまったから酷く面倒なので話をかなり端折るけど、とどのつまりは世間がハリーと名乗るメガネ小僧にうつつを抜かしている頃、僕は偶然受け持つことになったクラスで僕だけのハーマイオニーに出会ったという話。

 そう。あれは一昨年の春、僕はひょんなことからバッキンガムの小学校でHaikuを教えることになった。あえて言っておくが「俳句」ではない。「Haiku」だ。その違いはハートで感じて欲しい。

 意外に思われるかも知れないが、Haikuはイギリスの初等教育においてしばしば取り上げられ、小学生といえど高学年にもなれば、Haikuが日本で生まれたことくらいは知っている。
 ただし、なにぶん双方の言語のシステムや文化的背景に違いがありすぎて、英訳された伝統的な日本の俳句にシェイクスピアのような評価を得ることは難しいようだ。教える先生方にも熱意と愛情が足りないのかもしれない。

(もっとも、シェイクスピアの戯曲はともかく詩に関してはずいぶんと生徒に嫌われていたりもするが、それは日本の中学高校生が古典の授業を嫌うのとよく似ている。その多くは古語の難解さや慣れない言葉遣いに起因するのだろうが、日本人の自分からしてみれば、英語の歴史上の変遷なんて日本語のそれとは比較にならないくらい安定している)

 さて、そこで僕の登場である。見た目そのまま日本人の僕がHaikuの授業をするとなれば、生徒の目に僕ははるばるJAPANからやって来たHaikuの権威として映るに違いない。生徒は熱い視線を僕に送り、普段と変わらないはずの教室は異国情緒に溢れ、いやがうえにもクラスのボルテージは一気に高まるのだ。

 ちょっと考えてみて欲しい。例えばサッカーをやろうとして、相手チームにブラジル人が混じっていたらどう思うだろうか。あるいは、ラグビーにおけるニュージーランド人でも良い。もしくは、パスタを来客にふるまう際に、誰かが連れてきたイタリア人がその食卓についていたとしよう。

 サッカーにおいては、ブラジル人というだけで幻惑的な個人技を警戒するし、ラグビーでニュージーランド人といえば、その体に秘められたパワーとセンスに期待してしまう。また、パスタをふるまったイタリア人には、こんなのパスタじゃないやい!ママのレシピと違うもん!と怒られてしまうことを恐れやしないだろうか。

 現実というものは案外、ブラジル人のサッカーは独りよがりの下手くそで、ニュージーランド人は図体ばかり大きいうすのろで、マザコンのイタリア人はひどい味覚障害だったりするものだが、その人の出身国のイメージというものは相手の心情に大きく影響し、ボロを出さない限りは一目を置かれる存在でいられるのである。

 話がずいぶん脱線したが、日本人である僕がHaikuを教えるということは、教壇に立った時点ですでに生徒の信頼と尊敬を勝ち得ているというわけなのだ。そこだけはイギリス人の先生には絶対に真似できないところである。あとは、僕の俳句の知識が「古池や〜」で終わっていることを生徒に悟られなければ良いだけの話だ。

 と、そんな会話が小学校の先生方とうちの大学の教官の間で交わされたかどうかは定かではない。でもまあ、どうせそんなところだと思うのだ。実のところは大学でとっていた教科における実習の一環だったわけなのだが、とにもかくにも僕はイギリス人の小学生にHaikuを教えることとなった。

 そして、その教室の片隅で、僕は僕だけのハーマイオニーを見つけたのだ。それが今回の話の肝である。であったはずなのだか、なぜか蛇足が長くなった。端折ると前書きしていたのに、ちっとも端折れなかった。それどころか最初に書いたときよりも長くなったような気がする。いいかげん疲れたので、一旦ここで話を切ることにする。


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