[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
【神保城】稲山県へようこそ【霞久東大社】
1
:
県広報局
:2003/08/08(金) 02:07
現実の日本ではないどこか…
東陸地方の中心に、三方を山に囲まれた稲山平野と、山がちの菅生半島からなる県があった。
その名も「稲山県」。
政令指定都市・神保市を中心とする旧稲山藩エリアと、
漁業で栄えた菅生市を中心とする旧菅生藩エリアが
激しい対立を繰り返しながら、今日も稲山県に朝日が昇っていく…。
というわけで、開発途中ですがスレを立ててみますた。
2
:
県広報局
:2003/08/08(金) 02:21
稲山県の歴史は、平安朝の時代にまで遡る。
かつて函作(はこざ)国と呼ばれたこの地は、古くから東陸路の要衝として、
また漁業の基地としてもにぎわった。
平安末期、この地の豪氏が三座(現在の宮台市)に、天をも貫かんばかりの大きな社を建てた。
この社は「抜天大社」と呼ばれ、現在も宮台市に基礎部分が残っている。
室町末期、函作国の武士・神林保清が射名山に築城。
彼の没後、城下町は彼の名を取って「神保」と名付けられた。
江戸に入り、「射名山」の名に幕府からクレームが付いたため「稲山」に改名。
永らく稲山藩を治めた矢部家は代々名君・賢臣に恵まれ、神保を中心に発展が続く。
一方、天明年間に矢部家を出奔した相澤氏は、稲山藩の半島部分を奪取し「菅生藩」を勃興。
現在に続く稲山・菅生対立の元凶となった。
3
:
県広報局
:2003/08/08(金) 02:26
明治の廃藩置県に伴い、政府は稲山藩と菅生藩を合併し「稲山県」を設立。
激怒した旧菅生藩住民を押えるのに、明治政府は武装警察を出動させる事態となる。
国鉄東陸線(現在のJR東陸本線)の開通後は交易地としてさらなる発展を遂げた。
現在、県庁所在地である神保市の人口は130万人を数え、
1971年に全国8番目の政令指定都市に認定されている。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板