したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が901を超えています。1001を超えると投稿できなくなるよ。

雑談スレ

275Pome@レキシマソ:2003/05/03(土) 15:27 ID:r8YVtwEY
よくわかる歴史講座。

アクスマソ:
ヒトラーユーゲント隊長。ヒトラーの自殺後にベルリンを脱出し、
その途中で倒れているボルマンを発見したといわれている。

ユルゲソ・フォソ・アルニム:
第17機甲師団長、第5機甲軍司令官、DAK軍団総司令官、上級大将。プロイセン貴族の家系に生まれ、
父も軍人として活躍した軍人の一族の出身。1938年、少将に昇進、ドイツ陸軍参謀本部に勤務する。
ポーランド侵攻、西方戦役では中将に昇進し、第17機甲師団長として活躍する。1941年からの
東部戦線では中央軍集団に所属し、ブリャンスク攻略の際、際だった功績を挙げる。その後、機甲兵大将に昇進、
北方軍集団に籍を移してレニングラード攻囲戦で戦う。1942年、北アフリカ戦線が悪化し、
ロンメルのドイツ・アフリカ軍団(DAK)が敗走を始めると、ヒトラーの命令で第5機甲軍司令官に任命され、
北アフリカ戦線に赴く。ところが、このアルニムの登場で様々な問題が生じる。ヒトラーが、アルニムとロンメルを
同格にしたため北アフリカでの指揮系統が2つになってしまい、間に立たされたイタリア軍が混乱することとなった。
しかもアルニムはロンメルと協調せず、イタリア軍を無視して上司ケッセリングやドイツ軍首脳部と直接交渉したため
チュニジア・マレト防衛線での戦いで、ロンメルの見解と対立、別々の作戦行動をとり、結果的に北アフリカでの
ドイツ軍の敗北にとどめを刺すことになった。ロンメルは途中から西方戦役に移動、第5機甲軍とドイツ・アフリカ軍団が
統合され、アルニムは正式に北アフリカにおける総司令官となるが、チュニスで西側連合軍の攻勢を支えきれず、
1943年5月11日に降伏し、捕虜となり終戦まで過ごす。
アルニムとロンメルの確執についてよく言われるが、アルニムは地味ではあるが優秀な軍人であった。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板