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おちゃめくらぶ掲示板

454御茶目菜子:2010/12/04(土) 14:26:09
コピペではなく自分の考えを書こう
Webが普及し欲しい情報が気軽に入手可能になったけれどそれによって小学、中学、高校の
作文や感想文においてWebからコピペをするという人が多い模様にょ。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1011/29/news063.html
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1012/03/news078.html
他人がやった宿題を丸写しするとかは昔からよくあることなので今になって始まったこと
ではないけど同じクラスの友人のを丸写しなんかしたらほぼ確実にばれてしまうのに対して
Web上の文章のコピペだと滅多にばれないため厄介にょ。
学校の課題(宿題)だと先生自身がそれをコピペとして見抜かない限りばれることはない
わけだからね。

確かにコンクールだと閲覧者も多いためそれに似た文章を見た経験があるとう人が指摘
するため発見できる可能性はそれなりに高いとはいえ、賞を発表したあとに盗作疑惑が
あがって取り消しになるというのは受賞した本人にとってもそのコンクールの主催者側に
とってもあまり好ましいことではないにょ。
コピペ発見ソフトも販売されているためそれを使うという方法もあるけど送られてきた
作品に対してそれを行うのはコストや手間の負担が極めて大きいためあまり現実的なもの
ではないにょ。(「原稿用紙」ではなく「テキストファイル」での応募であればそういう
ツールを使うのは楽になるけどコピペも楽になるという弊害がある)

なぜコピペをする人が多いのかというとオリジナルのものを書くのはハードルが高い
(書き方が分からない)というのが原因と思われるにょ。
これはBASICで作られたポケコンゲームで考えれば分かりやすいと思うにょ。
まずはオリジナルのゲームを作れるようになる前にはサンプルプログラムを入力しながら
どのように動作しているのかとかそのサンプルプログラムを部分的に改造しながら改造に
よってどのように変わるのかということを経験することによってその知識が身に付いて
いくからね。
しかし、これは「BASIC」という普段は使わない言語を元にして作られているのに対して
作文(感想文)は普段から使っている日本語を元にして作るという点が根本的に異なって
いるにょ。

それならばBASICの命令の意味を日本語並に完璧に覚えていればBASICでゲームを作ると
いうことが簡単に出来てしまうのかといえばそうではないにょ。
ゲーム作りというのは一定のルールがあるためにょ。
まずは、ゲームがどのように構成されているのかを知る必要があるにょ。

 (1)初期設定・タイトル
 (2)メイン部分
 (3)ゲームオーバー・エンディング

そして、それらがどのようになっているのかを具体的に考える必要があるにょ。
アクションゲームであれば「自キャラの移動」「敵キャラの移動」「当たり判定」などが
それに相当するにょ。
それができるようになってようやくコーディング作業(プログラミング)に入れるにょ。
作文(感想文)が書けないという人は何を作るのか具体的に準備をせずにいきなり
コーディングを始めようとしているためにょ。
それだとなかなか書けなくても当然の話にょ。

作文(感想文)でいえば上記の3つの項目はこのように書き直すことができるにょ。

 (1)導入部分
 (2)展開部分
 (3)結論部分

昨日書いた雑記で言えば(1)〜(3)は下記のようになっているにょ。

(1)mixiの新サービスがなぜ問題なのかということでメアドとmixi IDが紐付けされると
 いうことについて
(2)デフォ設定というのはどうあるべきかというのを個人サイトでいえばBGMを出すとか
 アプリでいえばファイル削除に関して確認ダイアログの有無についてという具体例を
 出す
(3)その展開部分で書いたことを元にデフォ設定はどうするべきなのかということについて

この(1)〜(3)のような構成は基本であって絶対的なものではないにょ。
2段階にしたり、起承転結の4段階にしたりという方法もあるためどれが正しいのかという
ものではなくどれが自分の書きたい内容に合っているのかということが重要になってくる
わけにょ。
しかし、これはある程度書き慣れてないと難しい問題にょ。
つまり、作文が書けないという人は、下記の2つの問題を抱えていると考えられるにょ。

 (a) 文章構成がよく分からない
 (b) 具体的に何を書いていけば良いのか分からない

したがって、「書けない」という場合にはどっちの段階の問題であるかを考える必要が
あるけどその「どちらが分からないのかということが分かる」ことがまずは第一歩に
なるにょ。

(a)に関してはまずは書くテーマが見つかったら(与えられたら)それについてどの
ように思ったのか自分の気持ちや考えを書くことから始まるにょ。
例えば昨日書いたmixiのサービスについてだと「メアド検索が中止になったのでうれしい
です。」というのが最初の一歩となるわけにょ。
その一文で「書きたいことをすべて書いた」というのならばそれで終わってしまうわけ
だけど「うれしい」に至るまでのことはその文章を読んでいる人には伝わらないにょ。

このように「うれしかった」「おもしろかった」という感想は誰しもすぐに思い浮かぶ
けど作文として書くとなるとなかなか難しいのはそれだけだと発展性がないためにょ。
しかし、それに至る理由があれば発展させることはそれほど難しくはないにょ。
「メアドとmixi IDが紐付けされるのは嫌です。だからそれが無くなってうれしいです。」
このように順番に少しずつ発展させていけば文章はどんどん長くできるけどこのような
やり方では文章としての整合性をとるのが難しいにょ。
いくら自由に書いて問題ないといっても相手に自分の考えが伝わらなければ文章として
書く意味は無くなるにょ。
そのためにも構成というのは重要になってくるわけにょ。
「良い(悪い)と自分が感じた理由」を連鎖的にどんどん出していくことで書く内容は
いくらでも膨らんでいくけど結論(書きたいこと)にちゃんとたどり着くようにしないと
いけないわけにょ。
要するに上記の導入・展開・結論という3段階のものなどは形として覚えておく必要が
ある(それに合う形で書くことが必要になる)ということにょ。

(b)に関しては自分の経験や自分が調べたものが重要となってくるにょ。
ここで問題となるのは100%オリジナルかどうかではなくそれが「自分の言葉」になって
いるかどうかということにょ。
これはポケコンBASICでアクションゲームを作る場合でも「当たり判定ルーチン」や「移動
ルーチン」の作り方が分からなければゲームを作ることが出来ないということは分かると
思うにょ。
その場合において他所で使われていた「当たり判定ルーチン」を原理も把握せず自分の
プログラム内でそのままコピペするならばそれは自分のものになっているとは言い難いけど
内容を把握し、それがベストだと判断して使用しているならば仮にコピペ(ほぼ同一内容)
だとしても自分のものといっても良いのではないかと思うにょ。
それが認められなければオリジナルのゲームというのは作るためにはすべてのルーチンが
オリジナル(C言語だとすべてのライブラリがオリジナル)でないと認められないものに
なってしまうにょ。
ただ、そのまんま使うのは著作権が絡んでくるので厄介な面を持ち合わせてはいるにょ。

作文においてもそれは同じにょ。
Webでいくらでも調べられるとはいえ、何について書こうとしているのかがちゃんと把握
されてないと調べるのは難しいしそれに適した検索キーワードというのもなかなか出て
こないにょ。
そして調べた内容をそのまま写す行為は「引用」として著作権法的には認められている
けれど引用にはモラルが必要になってくるにょ。(引用であることを明示する)
法律の条文や他所での実験データなどは引用(そのまま書き写す行為)で無ければ
いけないのだけどそうでないものに関しては自分の言葉で書くことが必要になるにょ。
「個人サイトのBGM」や「ファイル削除の確認ダイアログ」などは私の経験に基づいた
ものだけどそれを他人も私と全く同じ考えであるとは思えないからね。
「ここは同じだけどここは違う」というのは十分に考えられるにょ。
したがって、他所から「引用」のために部分的にコピペをするのは分かるけど「考え」
までコピペするというのは正しいこととは言えないにょ。


「コピペで済ませる」というのは答えを丸写しするのと同じく「ただ提出すれば良い」と
いうノルマを果たすには確かに有用な面を持つにょ。
最初に書いたように学校への提出する宿題であれば「ばれないからやる」というのが最も
大きい理由になっていると思うけど「何を書いたらいいのか分からない」「どのように
書いていけば良いのか分からない」というのも理由ではないかと思われるにょ。
これはWebのせいではなく学校でそのように習ってないのが原因にょ。
決められたものを決められたように書くのではなく自分の書きたいテーマを書くことで
「文章を書くということに慣れる」という決定的なものが不足しているためにょ。
何でも最初はうまく出来なくても当然にょ。
しかし、それを盾にとってコピペを正当化するのは正しくはないにょ。
「文章構成を真似る」「他人の考えを参考にする」ということは不慣れな段階では
やむを得ないことだけど上記のようにただのコピペと引用とは全く異なるものにょ。

「活字離れ」という言葉が出てきて久しいけどWebの普及で文字に触れる機会は昔と
比べたら増えていると思われるにょ。
昔だったら書籍に書かれたプロの文章を見る機会は多かったけどWebの普及によってプロ
ではない普通の人が書いた文章を誰もが見ることができるようになったしね。
逆に言えば文章を書く機会も増えているということにょ。(特定少数向けではなく多数の
人へ向けた文章を書く機会)
自分のサイト、ブログ、mixiのようなSNSでは与えられたテーマではなく自分が興味の
あることについて自由に書くことができるにょ。
こういう機会を利用して文章を書くことに慣れるということが「作文が書けない」と
いう悩みを軽減できると思うにょ。(ただ、「他人に読んでもらう」ということを意識
して書いていかないとあまり効果はないけど)
そうやって、文章を書くことに慣れていき「自分の考えを書く」ということに対して
楽しさを感じるようになればコピペで済ませるというのがいかにむなしいかが分かって
くると思うにょ。




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