レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
おちゃめくらぶ掲示板
-
トリミングが許されるのは鳥撮りだけ・・・?
デジカメの画素数は依然として止まることがないにょ。
長らくAPS-Cサイズのセンサーでは1200万画素を維持していたニコンも新機種D3100で
1400万画素、D7000では1600万画素になったにょ。
キヤノンはすでに1800万画素だけど恐らく次の機種ではAPS-Cで2000万画素、フルサイズ
では3000万画素に達するのではないかと思われるにょ。
センサーの大きなデジタル一眼であればまだ一定以上の高解像力レンズを装着時には
ちゃんと細部まで解像するため無意味ではないけど解せないのはケータイのカメラの
画素数にょ。
1000万画素オーバーをしたと思ったら先日auから「Cyber-shotケータイS006」ではついに
1600万画素に達しているにょ。(レンズの解像力を考えると明らかに画素数が無駄に多い)
さて、この高画素化の背景には依然としてCPUでのクロック競争のように「画素数でしか
優劣を判断できない」という人が少なくないためだと思われるにょ。
「画素数が少ない方が良い」とも言えないけど画素数が多くなることによる弊害を考えると
「画素数が多い方が良い」とは一概に言えないのが現状だからにょ。
そんな高画素化のメリットの1つには「トリミングで有利」というものがあるにょ。
確かに十分な性能のレンズを装着していればトリミングに耐えられるけど果たしてそれが
本当に良いことなのか・・・?
「デジカメの撮影画像に対して、トリミングをすることがありますか?」
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/enquete/20101026_402511.html
する ・・・・ 82.1%
しない ・・・・ 17.9%
トリミングを「する」「しない」という二択アンケートであったため前提条件がないのが
やや問題だけど条件無しで「しない」と答えている人が17.9%もいることに驚きにょ。
というのも人によってこれはどのように答えるか受け止め方が異なるからにょ。
それを「普段から常用している」か「やむを得ない場合に使用したことがある」かという
のでは雲泥の差があるからにょ。
野鳥の撮影などでは600mmが「標準レンズ」と言われているにょ。(一般的な標準レンズは
50mm)
アップで撮ろうとすれば800mm、1000mm、もしくはそれ以上の超・超望遠レンズが必要に
なることも少なくないからにょ。
しかし、そのクラスのレンズは他の用途で使用する機会がないためそれ専門で撮影して
いる人でなければ購入は躊躇してしまうのではないかと思われるにょ。
そのためトリミングに頼るという人が居るのはやむを得ないにょ。(鳥撮りだけに
トリミングはありか・・・?)
しかし、それが普段でも当たり前となってしまうのは厄介にょ。
その被写体を撮影するのに十分なレンズがありながら「とりあえず広めに撮っておいて
後からトリミングすれば良い」というトリミング前提になってしまうと写真撮影の根底が
変わってくるからにょ。
「写真は引き算」という有名な言葉があるにょ。
これは何かというとメインとなる被写体(主題)を引き立てるためにそれ以外の何を
残すかということがフレーミング(構図)において重要になるということにょ。
いろいろ写りすぎて「何が主題なのか分からない」というのは失敗写真となってしまう
わけにょ。
銀塩時代はトリミングは自家暗室を持ってない人は利用する機会が少ないものだったと
思われるにょ。
デジカメの画素数が増え、PCのスペックアップもあって手軽に1000万画素クラスの写真
加工が可能になりそのハードルは大幅に下がったにょ。
したがって、「写真は引き算」という言葉は知っている人であっても撮った後に
「調整する」というのは自然な流れかもしれないにょ。
それにデジタル一眼の場合はプロ機や中級機の一部の機種を除き「視野率100%」でない
ためにシャッターを押す段階で注意していても自分の意図しないものが写り込んでいる
という場合も少なくないからね。
したがって、「調整レベル」のトリミングであればやむを得ないにょ。
しかし、「調整」を大きく超えるトリミングをしているならばそのときは問題にょ。
これは特定の人にプレゼントするためにその人がアップになるようにトリミングという
場合ではなくて「自分の作品」としてWebなどで発表する場合においてトリミング前提では
問題になるということにょ。
ここで「作品」というものに対する人それぞれの違いが出てくるにょ。
(a)シャッターを押した瞬間を捕らえることが重要だから「無加工」派
(b)感性によるものだから良くするためなら「加工は必要」派
この(a)(b)両者がお互い分かり合うことはあり得ないにょ。
(a)は自分撮る瞬間にいかにイメージに近い構図、露出、シャッター速度、絞りを調整
できるかが重要になるし(b)はいかにイメージに近いように加工できるかが重要になる
からにょ。
とはいえ、撮りたい被写体をいかに効果的に魅せるかという点では同じにょ。
そもそもデジカメの写真というもの自体が画像処理エンジンによって生成されるデータに
すぎない(設定によって発色だけでなくシャープさなどの面まで変更される)という
ことで(a)と(b)はカメラ内で自動的に加工されるか手動で行うかという違いでしかないにょ。
そもそも無加工派であってもRAW現像をする時点で色彩、明暗調整のレタッチを行うことに
なるわけだしね。
私は個人的には基本的には無加工派でありシャッターを押す時点で何を残し何を省略するか
(=「写真は引き算」)というのを考えながら撮影しているにょ。
技術が伴ってないため失敗作品も多いけどそれ故にきっちり決まった時の感激も大きいし
技術的な向上心も芽生えてくるにょ。
しかし、「調整」を超えるトリミング(写真を撮った後で何を引き立てさせるかを決める)
というの加工派、無加工派とはまったく別物にょ。
デジカメの進歩によって写真の知識はなくても誰でも簡単に一定レベルの写真が撮れる
ようになったにょ。
したがって、同じ被写体を撮影する場合はユーザーによって大きく変わるのは構図のみ
といっても過言ではないかもしれないにょ。
だからこそ、撮るときには主題や構図を大切にしたいにょ。(70年代は「一眼レフなのに
シャッターや絞りをカメラ任せにするプログラムAEは駄目なのか」というのが議論されて
いたのが懐かしい)
さすがに構図を自動で行うというのは現時点では無理だけど将来画像認識技術が飛躍的に
向上した場合には可能になるかもしれないにょ。
そうなったら、写真を撮ることがつまらなくなってしまうと感じるのは私だけではないと
思うにょ。
「記録写真」ではなく自分の意志が入った「作品」なわけだからね。
こう考えれば鳥撮りのように望遠側が足りないからトリミングでカバーするというのと
撮った後で主題を決めてトリミングするというのでは同じトリミングでも全く異なると
いうのが分かると思うにょ。
確かに後から行う場合でもカメラ任せやソフト任せではなく「自分の手でトリミング」を
するのだから「ユーザーの意志が入り込んでいる」かもしれないけど写真を撮る時の
わくわく感や上手く撮れた時の達成感はそれでは得られないからね。
|
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板