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おちゃめくらぶ掲示板
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私の絵の25年間の変遷
昔(80年代)のパソコン雑誌を探して部屋の中を漁っていたら昔描いていた絵を入れた
ファイル(デジタルではなくアナログ)が見つかったにょ。
そのファイルの中身を見てみると1988年〜93年くらいのものである模様にょ。(私は大抵の
絵に描いた日付を入れているため後から見ても何年何月何日に描いたものかが分かるにょ。
私の絵の変遷はWebサイト(おちゃめくらぶ)が出来て以来であればこちらのCGコーナーの
方でほとんど公開しているにょ。(Web上で非公開の絵や落書き絵は公開してないけど)
CGコーナー
http://ww5.tiki.ne.jp/~ochame/CG/DATA.HTM
ただし、R-18の絵に関しては基本的に別のHNにて別の場所(pixivなど)で公開しているため
ここには置いてないにょ。(2000年代はおちゃめ名義より他の名義の方が圧倒的に多い)
とはいえ、私が大体どんな絵を描いているかはこれで分かるのではないかと思われるにょ。
ちなみにこれがおちゃめ名義では最新絵となっているにょ。(今年の8月19日公開)
スク水の調辺アコちゃん
http://ww5.tiki.ne.jp/~ochame/CG/ako.jpg
久々に落書きではない絵(ここでの「落書き」はラフに着色しただけのものでペン入れをして
いないものを示す)となっているにょ。
この絵のR-18バージョンはpixivにて公開しているにょ。(おちゃめ名義のWeb上での公開絵
としては唯一のR-18)
それはpixivにおける新規アカウントでの評価の伸び具合の検証に用いたにょ。
pixivにおける被お気に入りの重要性
http://6407.teacup.com/ochame/bbs/3955
この作品は投稿して2ヶ月弱経った今では閲覧数1896、評価491点、ブクマ23まで伸びていて
この1枚のみでフォロワー(被お気に入り)が13人増えたにょ。(本アカウントの半分程度)
私が(PCにおける)デジタル絵に移行したのが2001年からにょ。
それは2001年に初めて自作PCを組みメモリも256MBと潤沢になったため余裕が出たのとUSBが
使えるようになったためにょ。(256MBで潤沢というとおかしく思うかもしれないけど当時は
Win2000搭載機で128MB、WinMe搭載機で64MBが普通だったのでWin98SEで256MBというのは
非常に潤沢だったといえる)
それまで使っていたのがWin95世代のPC-98(PC-9821V10)だったのでUSBもなくペンタブも
使えなかったし個人的には「マウスでは絵は描けない」ためアナログだったにょ。(ただし
メモリは当初の16MBから64MBに増設してCPUは当初のPentium100MHzからMMX Pentium233
MHzに換装していたし、下記のように拡張スロットに増設していたので一般的な使用には
それほど困らないレベルだった)
拡張スロットにUSBポートを増設するという方法もあったけどでPCIバスはWindowsアクセラ
レータ(最初はViRGEで次にSavage4に買い換えた)、CバスはSCSI-2(MOドライブとPC
カードドライブとスキャナを接続していた)とモデムに使用していたため拡張スロットに
USBポートを増設することはできなかったにょ。
ちなみに2001年からデジタルで描いているけどラフからすべてデジタル化したのは2年前の
2011年からにょ。(当初は塗りだけデジタルだったのが、次第にペン入れもデジタルに
なっていきラフからデジタルになった)
90年代後半に遡るとそれまで投稿していた雑誌が休刊したため同人などの活動を開始した
のが大きい変化にょ。(1997年にサークル「おちゃめくらぶ」の発足しコミケにも数回
参加した)
この時期に描いた絵はこちらで公開しているにょ。
15年前と現在・・・
http://6407.teacup.com/ochame/bbs/2849
これが当時作った本の表紙絵にょ。(某アニメのキャラを自分の絵で描いてみた)
http://ww5.tiki.ne.jp/~ochame/test/PJ96.jpg
90年代はアナログ、オフラインでの活動ばかりだったので自作ゲームの攻略本やおちゃめ
くらぶの情報紙「おちゃめ通信」など多くのものを作っていたにょ。
その中から今回見つけたファイルの中に1冊紛れ込んでいた自作ポケコンゲーム「ゼロヨン
バトル」の攻略本を紹介するにょ。(私は自作ゲームの攻略本を良く作っていたけど発行
部数は10部程度ですべて完売しているため現存しているこの本はかなり貴重)
http://twitpic.com/dgobbg (表紙の絵)
http://twitpic.com/dgobq4 (中身)
見ての通り、詳細なデータや攻略法が記載されているにょ。
ゲーム内ではグラフィックの無かった登場人物絵や脳内再生される声優の名前まで記載
されているというすばらしいものにょ(笑)
◎「ゼロヨンバトル」登場人物
・零四 場取(ぜろよんばとる) CV:林延年
本作の主人公。一流のレーサーを目指している車オタク。
・緒紗奈 奈路美(おさななじみ) CV:林原めぐみ
場取の幼なじみ。男勝りな正確だけど恋に関しては奥手な女の子。
・折葉 西京(おれはさいきょう) CV:置鮎龍太郎
ゼロヨンで5年連続日本チャンピオンの最強かつクールな男。奈路美に一目惚れ。
どんな内容のゲームかというと至ってシンプルなゼロヨンレースゲームだけどコンピュータ
対戦のストーリーモードと2人対戦モードが選べるにょ。
1/1000秒単位のタイムアタックが可能だし、ネームバトラーのように強い車を発見する
楽しみもあるにょ。(独自の乱数発生ルーチンADAMによって性能の良い車はレアになるよう
バランス調整がしてある)
さらに遡って90年代前半を見てみるにょ。
これは以前部屋の中から見つけた某ゲームキャラの絵にょ。
http://twitpic.com/cjk2yz
描いた日付がこすれて読めなくなっているのだけど真サムスピにハマっていた時期に描いた
ものだから94年頃だと推測されるにょ。
そして、いよいよ今回見つけたファイルの中からも公開するにょ。
まずは、ちょうど20年前(1993年10月)に描いたものを公開してみるにょ。
http://twitpic.com/dgo9gs
この絵は10月なのになぜクリスマス絵かというとこれは雑誌投稿用の絵だからにょ。(93年
以降は雑誌投稿した絵もすべてコピーして手元に残している)
雑誌によって多少は異なるけど月刊誌の場合は投稿して2ヶ月後の号に掲載されることが
多いため10月に投稿すれば12月号にちょうど掲載されるというわけにょ。(これが
イラストではなくプログラムの投稿だったら誌面のスペースの関係上などから半年遅れで
掲載の可能性も十分にある)
日付を見ると93年10月15日というのが分かるけどその後の「77」は何を意味しているかと
いうとその雑誌に投稿した通算枚数を示しているにょ。
別の雑誌では別の通し番号となっているにょ。
私が某雑誌に投稿していたのは92〜96年だったのでその雑誌の読者ならば私の絵を見る
機会は多くあったのではないかと思われるにょ。(94年、95年と2年連続で掲載枚数で
1番になった)
というわけで、それより前に描いたカラー絵を2枚公開するにょ。(ちなみに90年代初頭
までは色鉛筆で塗っていたけどそれ以降はコピックで塗っていったけど塗りをデジタル化
した2001年まではそのやり方で描いていた)
まずは91年11月13日に描いた絵にょ。
http://twitpic.com/dgo9yb
この絵は某漫画のキャラの絵に似せて描いたものにょ。
昔は私はオリジナルがメインだったため数少ない版権キャラ絵とも言えるにょ。
とはいえ、年賀状は版権キャラ絵とオリジナルの両方を描いていたので当時描いていた
年賀状が発掘されたら当時何にハマっていたのかがすぐに分かるにょ(笑)
こちらは上記と同じく91年の6月2日に描いた絵にょ。
http://twitpic.com/dgoa77
これは某ゲームのキャラを描いたのだけど絵柄を似せて描いたというよりも完全なる
模写にょ。
手の描き方やしわの描き方が他の絵と全然異なるので一目瞭然だと思うにょ。
91年のオリジナル絵も公開しようと思ったけどあまりにクオリティが低すぎて断念して
しまったにょ(笑)
そして、さらに遡り80年代を見てみるにょ。
今回見つけた絵の中の88年に描いたものを見てみるとどれも公開できるようなレベルに
達してないにょ。
それでも、やはり見つけたからには公開もすべきと考えて一番マシなのを選んでみたにょ。
それが25年前となる88年5月18日に描いたこの絵にょ。
http://twitpic.com/dgoaei
普通ならば他人に見せることはなく永久に封印されていたであろうレベルの絵だけど
こういう機会だからこそ公開に踏み切ったにょ(笑)
とはいうものの、私が趣味として絵を描き始めたのは86年からなのでこの絵よりもさらに
2年前にょ。(80年代は粗製濫造でひたすら早く描いていたためキャラ絵は顔だけなら2、3分
全身でも10分程度であり、当時としては丁寧に描いたはずの上記の絵でも21分となっている)
86年から雑誌や新聞などに投稿しているけど初掲載は92年であり、初投稿から6年かかって
いるにょ。(当初はずっと実名で投稿していたたけど92年に現在のペンネームを考えて
それ以降これを使い続けている)
描き始めた頃はあだち充(みゆき、ナイン)や高橋留美子(めぞん一刻、うる星やつら)、
柊あおい(星の瞳のシルエット)、水沢めぐみ(ポニーテール白書)などのの影響を強く
受けていたのだけど上手い絵がいきなり描けるわけがなく当初はかなり悲惨なできばえ
だったような記憶があるにょ。
部屋のどこかを探せばそのころに描いた絵が見つかる可能性があるけどその頃の絵を見る
のは今となっては恐いにょ(笑)
上記の私の絵以外にも今回の発掘で見つけたものをいくつか公開してみるにょ。
工学社の雑誌「PiO」
http://twitpic.com/dgrjpr
富士通マイコンの情報誌「スカイラブシャトル」
http://twitpic.com/dgrkxm
新・一太郎(一太郎 ver.2)のカタログ
http://twitpic.com/dgrme9
一太郎 ver.3のカタログ
http://twitpic.com/dgrmlc
キヤノンのMF一眼レフF-1のカタログ
http://twitpic.com/dgrnha
「うっでぃぽこ」のファミ通クロスレビュー
http://twitpic.com/dgrpjb
PiOはベーマガと同じく読者の投稿プログラムを主体とした雑誌だったけどベーマガ
では掲載できないようなサイズのプログラムやマシン語ダンプリストでの掲載も行って
いたため棲み分けができていたにょ。
ちなみに私が所有するPiOが随分間が飛んでいるのは貸したまま返って来ない号がたくさん
あるためにょ。
本当ならばプログラムポシェット(こちらも投稿プログラムを主体とした雑誌)も持って
いたのだけどこちらは全冊返ってきてないにょ。
スカイラブシャトルは富士通のサービスセンターなどで無償で配布されていた冊子にょ。
新製品紹介や製品の細かい仕組みやプログラムリストやソフトの紹介などが記載されて
いるにょ。
ちなみにこの冊子を作っているのはPiO、I/O、PJでおなじみの工学社にょ。
カタログの類は今のところに引っ越す前には大量に持っていたにょ。
1981年以降は電器店の店頭に置いてあったカタログを全種類持ち帰っていたので8bit
パソコンはほとんどの機種のカタログを持っていたし(NECだと初代のPC-8001のカタログが
無かっただけでPC-8801MCまで網羅していた)、PC-98に関しては初代のPC-9801からすべて
持っていたにょ。
ただし、カタログだけで積み重ねたら1mくらいあって非常に邪魔だったので思い切って
引っ越したとき(1998年)に処分したにょ。
なぜ、「うっでぃぽこ」かというとスマイルブームの小林社長がデービーソフトに在籍中に
このソフトを手がけたらしいからにょ。
ちなみにファミ通は私は毎週買っていたわけではなく自分が好きなソフトの特集などが
あったときのみ買っていたにょ。
ゲーム雑誌やパソコン雑誌は80年代のものは引っ越したときにほとんど処分したにょ。
でないと引っ越しが大変になるからにょ。
今回発掘調査ができたのは上層部にあるものだけにょ。
下層部は部屋の中に積み重ねられている本が邪魔で発掘作業が全くできないにょ。
何せ引っ越した時点で6畳間の中で本棚が8つ、押入が本とゲームで満タンになっていて
それから増えたものが部屋の中の半分以上の面積(3畳以上)積み重ねられた状態に
なっているからね。
6畳から本棚8つとタンスとこたつのスペースをマイナスしてそれから3畳少々をマイナス
すれば本が置かれていない部分の面積が概ね想像できるのではないかと思われるにょ。
アニメ雑誌はほとんど捨てずに持ってきたはずなので部屋の隅まで発掘可能になれば
アニメディアの創刊号とかも見つかるはずにょ。
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