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東方projectの終わり方を考えてみる

186名前が無い程度の能力:2010/10/27(水) 22:36:30 ID:EWtbc.NE0
非常識な存在が生き残るための装置だよね、幻想郷って。

神妖(ナムサンも「神と妖怪を区別しない」って言ってたよね)が異変を起こさなくなる
≒人が畏敬の念を抱かなくなってしまったら、外界との差は無くなる。
逆に人口爆発が望めない状況で人に大規模な実害が出てもいけないから、
異変を起こしてしまえば(面子が潰れないような形で)退治される必要があり、
そして異変の元凶としての名声(悪名?)を残すことになる。
人を増やしたくても常識と非常識の結界がなくなってしまえばその時点でおしまいだしな……

win版で描かれる幻想郷はこのサイクルを円滑に進める道具がスペルカードルール=ゆかりんの手法
に基づく「共生」関係
(上述の部分だけだと一方的な搾取だけど、外界と物理的に遮断されているという前提では
 食塩みたいに人間だけでは自活できない部分を妖怪の山やらなんやらに依存してる可能性は高い)
で120年余維持されてきたと解釈してるけど、
妖が皆その性質を問わず人と密に交流し、相互の信頼・融和を以って善しとする「共存」とは相当違うんじゃないかな。
共存が成立するならば、弾幕ごっこは本当に完全な娯楽になるんだろうね。
天狗の新聞のネタであったり、季節に中てられた妖精の戦争のような。

*"幻想入り"前のナムサンの見てきた世界は非常識な存在が駆逐される世界で、
魔理沙の知ってる幻想郷は人が非常識な存在の維持に一役買う(虐げられる?)世界だから
認識がかみ合わないのも仕方ない。


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