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雑談スレ十五代将軍徳川慶喜

1φ:2011/02/08(火) 10:33:46 ID:ZWadsUug0
父・斉昭と同じく薩摩藩の豚肉が好物で、豚一様(ぶたいちさま・豚肉がお好きな一橋様の意)と呼ばれた。西洋の文物にも関心を寄せ、晩年はパンと牛乳を好み、カメラによる写真撮影・釣り・自転車・顕微鏡・手芸(刺繍)などの趣味に興じた。将軍時代には西周からフランス語を習ったこともあったようだが、こちらは挫折した。
静岡に住んでいる時、家臣達と一緒(家臣達は走っていた)に愛用の自転車でサイクリングした。その自転車を購入した自転車店は、現在の静岡市葵区紺屋町にあり、近年まで成業していた。維新後貧窮に苦しむ旧幕臣の生活を顧みず、当時珍しかった自転車を楽しそうに乗り回していたので旧幕臣からは憎まれた。
東京・墨田区の向島百花園には慶喜が書いた「日本橋」の文字が彫られた石柱が保存されている。実際に橋として使われていたものである。
趣味としての写真撮影を日常としたが、カメラ撮影の技術はあまり上達しなかった。写真雑誌にもたびたび投稿したが、なかなか採用されなかった。こうした趣味人生活の友であったのが実弟・昭武であった。なお、曾孫の徳川慶朝はフリーのカメラマンであり、彼によって慶喜の撮影分も含めて徳川慶喜家に所蔵されていた写真類が発見され、整理と編集を行なった上で出版された。写真家の長野重一によれば腕前はセミプロ並みとの評価であるが写真集『将軍が撮った明治』(朝日新聞社)を見る限り、写真が芸術性を帯びてくるのは昭和の初期からであり、たんに日記代わりとして撮っていたと、評価している。
北海道江差町に、名前に因んだ「慶喜トンネル」が存在する。(国道229号)




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