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にゃんこすれだよにゃんにゃん・3
550
:
寝子
:2006/03/15(水) 21:48:46
<続き>
手術直後は一度危なくなったものの持ち直し、ようやく食べられるようになり、少しずつ歩けるようにもなりました。
が、また腹水が溜まり始めました。実は手術の時点で既にMRSA腹膜炎になっていて、真菌も検出されました。
そしてドレーンをつけるために再手術。またたくさん輸血しました。
それまでの点滴・注射・採血・検査に加え、毎日腹腔洗浄することになりました。
腹腔洗浄の後は恐怖のドライヤーです。
血管はボロボロになり、もう注射針を刺す血管が無くなり、採血は首の血管から、
点滴は休まざるを得なくなりました。
抗生剤入り生食水による腹腔洗浄でもなかなか効果があがらず、途中からはイソジンも使って朝晩2回洗浄。
リンパ腫治療のためのステロイド投与により免疫不全状態となっていました。
徐々にまた食べられなくなっていき、点滴を再開してもだんだんと弱って歩けなくなっていきました。
意識も朦朧とすることが多く、瞳孔も開いて危険な状態になったり、でも病院では
「絶対病院なんかじゃ死なない!」と気合でがんばっていました。
「病院に居たくない、今すぐ帰りたい!」と泣いたりもしていました。
もう顔を上げるのさえ困難になり、重度の貧血で輸血をしても3日ともたない状況で、
体中の機能が低下している感じでした。
そしてそれまでどんなときも「きっと大丈夫」と言ってくれていた先生(主治医ではないが担当の先生)が、
今日の様子はいつもと違うのでもしかしたら今夜がヤマかもということを言いました。
「電解質を調整する治療をしたが、改善する見込みがないのでこのままだと痙攣を起こして亡くなる可能性が高い。」との事でした。
血糖値が異常に低下していたのもあり、その日は深夜まで治療を続けて連れて帰りました。
(前日までは食欲増進剤で多少でも食べていたのに低血糖でした。)
帰り際に夫が「よくこんな辛い治療に耐えてきた、人間だったら気が狂うかも」とこぼしましたが、
私たちは、そんな拷問とも言える苦痛をあのコに与えていたのです。
さらに家に帰っても嫌がることをしました。低血糖が原因で死なれるのは嫌だったのでミルクを無理やり飲ませました。
(前日までは飲んでくれていたのにその時はとても嫌がっていました。)
そして朝方気づくと痙攣が始まっていました。いよいよだと思いました。瞳孔は完全に開いていました。
病院に電話しても留守電、夜間救急も時間外、とりあえず砂糖水を飲ませるしかできませんでした。
でも私はこのまま逝ってくれることを望んでいました。死ねばもう苦しむことはない、楽になると思ったからです。
そしてそのうち激しく体を反らし、呼吸困難になり、体は夫が支え、私はただ見守るだけでした。
そして息を引き取り、痛みも苦しみも病気も怪我もない世界に旅立ったのだと思いました。
でも実際は死んだ瞬間に全て楽になるわけじゃないというのを読みました。
亡くなってから1ヶ月以上経ちますが、もしまだ苦しみが残っているとしたら、あまりにも可哀想で…
ママン、どうかあのコの苦しみや悪いトコ全部拭い去ってやってください、お願いします。。。
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