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日日99‥‥!!
516
:
すてっぷ
:2007/11/24(土) 04:58:31
あらしべ長者物語
>ファラデーと同じく見習いで働いていた画家の卵マスケリエはファラデーにデッサンを教えた。そのためファラデーは絵が非常に上手く、科学系の本にある実験装置などを正確に書き写した
>ファラデーのノートに感銘を受けた客が、ある科学講演の入場券を譲ってくれた
>当時の大化学者であり、後にファラデーの師となるデイヴィの講演であった
>ファラデーはデイヴィの科学講演を巧みにデッサンし、それを見て感心したデイヴィと言葉を交わすことができた
>ファラデーが科学の道を歩みたいと言ったところ「科学は苦労の連続である。今の仕事を続けなさい」といわれ、ファラデーは落胆したが、ちょうどその頃デイヴィの助手に欠員が出たのをきっかけに、22歳のファラデーはデイヴィの実験助手になることができた
>当時の階級社会で彼は紳士とは考えられてはおらず、裕福な家の出だったデイヴィーの夫人はファラデーを低く扱い、一緒に社交に出ることを拒んだと言われている。ただしファラデー自身は上流階級になろうという意欲は薄く、後にナイトに叙せられる話があった時も断ったとされる
>クリミア戦争の際に政府から化学兵器を作ってもらえないかという要望がきたとき、彼は机をたたいてこう言ったという。「作ることは容易だ。しかし絶対に手を貸さない!」ファラデーが強い平和主義者だったことも伺える。1867年自宅で椅子にもたれたまま、眠るようにして死去
ファラデーの左翼の法則…?(笑)
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