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つまらないものですが
1909
:
作為を感じた名無し
:2018/02/25(日) 10:00:28 ID:???0
◆◆◆東亜+雑談スレッド 世界で韓国は2477(不要な流)れが醸成される◆◆◆
http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1519478722/668
668 名前:エラ通信[sage] 投稿日:2018/02/25(日)09:58:43 ID:eZd
>>654
今、キーワードをかえて、検索してみたらみつかった。
>○『宣祖実録』によれば、「人心怨叛し、倭と同心」するような社会状況の中で、
>明軍が朝鮮軍支援にかけつけてみると、「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民」といったふうだったという。
>また、江戸時代末期に日本で書かれた『征韓偉略』によれば、秀吉の軍隊が京城に入城した時、
>兵士の半ばは朝鮮の民であったという。また、韓国の教科書には「文化財の被害も大きかった。
>景福宮が焼け、実録を保管した書庫が消失した」と書かれているが、火をつけたのは朝鮮の民であり、
>秀吉の軍隊が京城に入る前に、既にそれらの建物は焼け落ちていたのである。
>宣祖の京城脱出と同時に、日頃から怨念を抱いていた民衆が略奪・放火をほしいままにしたのであり、
>「虐げられた朝鮮の民衆にとって、外敵の侵入はまさに解放軍の到来と映った」との指摘すらある
>(下條正男、『日韓・歴史克服への道』)。
>○「韓国人、大反省」 1993 金容雲 徳間書店
>壬辰倭乱当時、首都漢陽(ソウル)を固守すべしという民衆の願いを押しのけ、
>蒙塵(王が乱を避けて都を退くこと)の口実のもとに、王と大臣らが都を逃げ出すと、
>彼らに石を投げつけた民衆は、腹いせに宮殿に火をつけた。
>普段えらそうなことを言って何事もいい加減に行なっていた連中が、
>民衆の叫びを背に逃亡したのだから、
>民衆の間に「なんだ、この野郎」といった気分が高じたのも無理はなかった。
>実際にそのころ朝鮮の二人の王子は逃亡中に民衆に捕らわれ、日本軍に引き渡された。
>民を守らぬ王は、もはや王ではないのである。
>○「龍を気取る中国 虎の威を借る韓国」 黄文雄 1999 徳間書店
>景福宮などの焼失は、大部分の韓国の観光案内板によれば、
>「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の兵によるもの」と書かれているが、それは嘘だ。
>李恒福の『白沙集』によれば、秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
>それは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。
>ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、
>奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。
>それが歴史の史実だ。
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