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つまらないものですが
1531
:
作為を感じた名無し
:2017/11/23(木) 17:46:33 ID:???0
◆◆◆東亜+雑談スレッド ニダーの自称バランス外交、その2283(実、はみ)出しもの◆◆◆
http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1511395776/232
232 名前:ウリは日本酒派[] 投稿日:2017/11/23(木)15:14:34 ID:1in
>>198
続き
>今回書いたように、韓国では「断続した今」を最も重視する傾向にある事から、「今」効果が見え易い戦術的優位性に拘ります。
そして結果的に、「戦略的優位性を放棄してでも戦術的優位性に固執する」という現象になるわけです。
戦略的視点が見えていないというよりも、戦略的視点という「概念が存在していない」と表現した方が適切でしょう。
私がこの件に気が付いたのは偶然でした。
かつて存在していた日韓翻訳掲示板において、ある日一昨年韓国で映画にもなった李舜臣の鳴梁海戦が話題になった事があります。
この事例は、李舜臣が少数の日本側先遣隊に勝利したあと、戦略拠点であった鳴梁湾を放棄してしまい、
鳴梁湾を占領した秀吉軍は翌日から朝鮮半島への上陸を開始しています。
つまり、李舜臣は戦術的勝利と引き換えに戦略的敗北をしたという事になるわけですが、この事を韓国側に何度説明しても彼らはそれを理解しませんでした。
「日本は海戦で負けた」と主張し続けたのです。
当初は引っ込みが付かなくなって意固地になっているだけかと考えたのですが、
「実際に秀吉軍は鳴梁湾を占領して上陸しているではないか、これは戦略上の敗北だ」と説明しても、
彼らの中の「李舜臣が勝ち秀吉が負けた」という前提が崩れないのです。
そこで気が付いたのが、彼らは「戦闘に勝利した」という直接的な利益にのみ価値を置いており、
戦闘をせずに戦略的要衝の鳴梁湾を手に入れた秀吉軍の勝利であるという認識自体ができていなかった事です。
つまり彼らにとっては、李舜臣が「海戦で秀吉軍に勝利した」という「日本側の劣等性」のみが全てであり、
その後に何が起きようとそれはこの勝利と「連続性が無い」わけです。
(´・ω・`) そりゃ近代戦どころか中世においても最弱無勝だった訳だよなあ(戦争で勝てる可能性が皆無)
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