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自殺観

1みさお:2018/02/16(金) 14:05:52 ID:2WS9PhzU0
現環境が生活苦だとか所謂「詰んでいる」状態で、少ない選択肢の中からの消去法としての自殺が 自殺のほぼ全体を占めていると思うのですが
本来 あらゆる展望や期待値と「ここで終わりにする」という選択を天秤に掛けて 自らを決する行為は尊ばれるべきものなのではないでしょうか

2:2018/02/19(月) 12:28:42 ID:ImtbLyBY0
消去法で決めたのに尊いの?
展望や期待値がないから消去法なんじゃないの?

3みさお:2018/02/19(月) 15:16:10 ID:rMQLyg7M0
本来 と書かせていただいたのは 消去法はあくまでも自殺の一面であり、自殺全体とは区別して考えるべきではないかと考えたからです。
つまり 尊厳死のような何かと天秤に掛けられる状態での選択も 自殺というカテゴリーに属するのではないかと私は考えています。
また、消去法での自殺においても 貧困や病などによって「死ぬしかない」と限定された選択肢とは独立して 踏み台や断崖から前に出した一歩は自由意志による決定であり それ自体は 生きるという選択と同様に尊いものなのだと思います。

4:2018/02/19(月) 18:49:27 ID:ImtbLyBY0
なるほど
尊厳死=痛いのツラいし、どうせ長くは生きられないから死ぬ
自殺=どうせ人生詰んでるし、余生はくだらないか死ぬ
でもその「死ぬ」は上記の前半部とは切り離して考えて、あくまでも「死ぬ」という行為は自分で決定しました。ってイメージであってますか?
んで自由意思による決定なので尊いです。って感じかな
まぁ考え方は人それぞれだし、人の考え方自体を否定するのは好きじゃないけど
べつに自由意思による決定の「結果何をするか」が尊いものなのではなく、自由意思によって「決定すること」が尊いってか尊重されるべきことなのかなと思います。
私の結論だけ言うと尊厳死も自殺もべつに尊いものではなく、人生の最後の1つの形態として他人にとやかく言われるべきことではない。ってな感じなかな


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