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自殺することは悪いことなのか

1クラ ◆mHqJ7otKZM:2015/05/10(日) 17:17:40 ID:NXmLeZec0
議論したいです。
私自身は悪いこととは思っていません。

今すぐ、この瞬間に、自殺したいとは思わないけど、いつかする日が来そうな気もします。日々の暇つぶしに段々と飽きてきたから。

「頑張れよ、お前なら大丈夫、とにかく自殺しないで」これらの文言には飽き飽きしました。
私が歪んでるからか知りませんが、所詮馴れ合い、死なない前提での傷の舐め合いに聞こえてしまいます。
私の他にもおそらくいるとは思います。ただまあ、ここに顔を出している時点で、私自身も馴れ合いがしたいだけの気もしますが。

論理的に、論理的とまでもいかなくとも納得のできる、自殺が悪い事であるという証明が、あれば良いなと心から思います。けれど、私一人では見つけられませんでした。

タイトルはこういった経緯です。
皆さんは自殺することの是非についてどう思いますか?

2ソラ:2015/05/10(日) 21:04:16 ID:cB3PXZxE0
自殺の問題で、一番のテーマと言って良いのは、"命とは、何か"という事に当たっていくと思います。自殺という表現であるなら、現代では、殺人ということは絶対のタブーです。これを破ることは、タブーを犯したことになり、悪いこととされています。それが、例え、自分だとしても、例外ではありません。しかし、歴史を振り返ってみると、世界のどんな場所でも、殺人という行為が行われなかったことはありません。第二次世界大戦、戦国時代などを例にすれば、時には、殺人という行為によって、英雄とされ、讃えられることさえあります。以上は、他者に対する殺人でしたが、自身に対する殺人でさえ、時代によっては、美として讃えられることさえあります。室町時代や戦国、江戸時代といった武士を背景にした時代には、"切腹"といった自殺行為さえ、潔しと認められてもいました。
つまり、自殺という行為でさえ、時の変遷によってその意味を変えるものであり、良いか悪いかで議論しても、その答えは如何様にも出せるもので、不変的な答えとはなりません。
ただ、私達は誰でも死という存在を通らずにいることはできません。自殺について、語るにはまず、死について知ろうとしなければなりません。死という存在は、誰もが通る道であり、善か悪かの二元論では語れません。自殺も、同じです。自殺は、悪か善ではなく、自身の死について如何に向き合っていくかということじゃないでしょうか。勿論、一つの考えだから、納得いかないことの方が多いかもしれません。納得いかない人がいたら、あなたが納得できる答えが見つかる様にあなたの考えを尊重し、向き合っていきたいと思います。

3クラ ◆mHqJ7otKZM:2015/05/10(日) 22:54:25 ID:NXmLeZec0
>>2
善悪の二元論で語れないことは、私も承知しています。

最初に、貴方は例として殺人、を例に挙げましたが、現代において殺人が悪とされるのは法で定められているからです。現代において、殺人と自殺に対する悪は同一のものでは有りません。
それから、時代によって死、についての観念が違うと貴方は言いました。その通りだと思います。追記するならば、それは場所や文化によっても違う、環境による違いとも言えます。
だからこそ、死に向き合う、それが大切である。それはその通りだと思います。

ただ私が議論というか、話したかったのはそういう事とは少しずれているのです。

私は、貴方自身が死と向き合って出した考えを聞きたかったのです。

それぞれの価値観について、私は自殺は構わないという立場ですが、共有したかったのです。
一人で向き合えない、向き合った限界があるから、ここで語りたいのです。

4ソラ:2015/05/11(月) 04:16:23 ID:cB3PXZxE0
クラさん
レスポンス有難うございます。クラさんが、たった一人で死について、限界を感じる程向き合ったなら、その苦悩は相当に深かったのだろうなと勝手な想像ながら、思います。
死について、僕の考えをさらに述べるなら、ここで、最初のレスで言った通り、"命とは何か"というテーマに当たる気がします。生という言葉を使うと、どうしても私の生きる意味は?私の価値は?という私を基準に考えてしまう気がするため、死のテーマについては、考える時は、この"命"という言葉を使う様にしています。ここまで、言ってお恥ずかしい限りですが、私自身"命"のテーマについて、全く上手く表現しきれません。。ただ、せっかくクラさんが機会を下さったので思いの羅列を書かせて頂きます。
命は誰にでもあるものです。価値や意味といった個人の多彩性がもし、あってとしても、命があるという事実だけは変えようがありません。ただ、この命の感覚は、自分一人では感じにくいです。それは、他の命あるものを通してでしか感じられません。ここで、他の命といったのは、親や恋人、友人だけでなく、もっと幅広くを捉えています。そして、僕はこの命というものと付き合いながら、死というものに向き合っていきたいと思っています。
上手く表現しきれませんが、僕は死について、この様な姿勢を持って向き合う様にしています。

5辛辣:2015/05/11(月) 04:38:18 ID:cB3PXZxE0
自殺は構わないっていう事を共有したかった?自殺は個人の自由だから、別に構わないだろうっていうこと?僕には、議論をしたいというより、私の生死を誰かに構って欲しい、私は生死を考える程に追い詰められていることを誰かに知って欲しいって言う嘆きに聞こえますけどね。

6たかし:2015/05/11(月) 19:25:39 ID:FZHKfdxk0
自殺は悪くないと思います。
自殺をする特性も持って生まれたのが人間です。
それも人間の一部です。
例えば笑顔が人間らしさの特徴というのであれば、自殺も人間らしさの特徴です。
笑顔も人間らしさでありますが、実際に自殺をしている人間がいるのだから、自殺もまた人間らしさです。
だから自殺を否定したら、人間そのものを否定することになります。
自殺というのは、人間の特性のひとつである、といえそうです。

なにはともあれ、自殺が一切なくなった人間社会、というのも不気味ではないですか。
どんなに不安や苦痛があっても、自ら死を選択できずに強制的に生かされるとしたらどうでしょう。
そっちのほうが恐ろしいことです。

何事も、善いか悪いかなどというのは、時代によってかわるものです。
今は宗教のごとく「自殺はいけない」と皆で唱えていますが、この先はどうなるか分かりません。
「さっさと死んでおいたほうがマシ」、という風潮が社会に流れたら、自殺は善いことになります。
歴史を見れば、善悪などコロコロとかわっているのがわかります。
切腹がよしとされた時代もあったのですから。
自殺しないがために責められる時代もあったのです。

自殺を出来るときにしておく、というのも人間の特権のひとつのように思えます。
自殺が出来なかったがために、その後、一層ひどい人生を味わうことになってしまった人を無視してはならないように思います。
クラさんの「自殺はわるくない」という意見に同意します。

7クラ ◆mHqJ7otKZM:2015/05/11(月) 20:43:54 ID:tsX04E160
皆さん、レスポンスありがとうございます。

私自身が、そこまで苦悩しているとは思いません。というのは、相対的な意味ではなく、私自身がその様に感じているのです。

嘆き、というのは近いかもしれません。自殺に対する考え方の共有、というのが当初の目的でした。そして私は自殺はいけない、という圧倒される様なものを求めてるつもりではいたけれど、そんなもの無いと思っていた様にも思います。
ただ、自身の考えに対する同調が欲しかっただけかもしれません。

理解者が、存在する筈も無い全てを見通して、言ってくれる理解者が欲しい、そんな感じです。

本当は私自身がどうすべきか、どうしたいかを知っている気もします。しかし、そこに踏み込む前に、というか、知ってるのに逃げてるのかもしれません。

取り留めなくて申し訳ない。私は自身の事を私自身が理解してるのかどうか、分からなくなりました。或いは分からないフリをするようになりました。状態としてはどちらも変わりません。何だか疲れます。

真に生を肯定してくれる何かがあれば、生きていくべきだし、生きるべきだと思います。私には、そろそろ無くなるし、その後見つからない気がするのです。

聞いてくれてありがとうございました。

8ソラ:2015/05/11(月) 23:27:09 ID:cB3PXZxE0
もし、クラさんの機会があったら、ショウペンハウエル「自殺について」やフランクル「苦悩する人間」といった本を読んで下さい。クラさんの考えに何かしら通じる部分が見つかるのではないかと思います。

9クラ ◆mHqJ7otKZM:2015/05/12(火) 02:12:20 ID:tsX04E160
未読ですので、読んでみます。


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