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気づいたら死ね死ねと叫ぶ夜
1
:
クマ
:2011/02/09(水) 04:37:39
両親離婚、神経症からの回復で気づいたこと。世間体で結婚し、世間体で私を作ったこと。いつも父「俺が死んだらお前どうすんだ?」「この家は俺が汗水垂らして死に物狂いで買った家だ。お前の部屋に俺が買った家なのに、俺が入っていけないところがあっていいのか?」母「料理のレパートリー増えた?まあ、大変ねー。頑張ってね。」「あんた、呂律が回ってないわよ。まあ、あんたもそんなになっちゃあおしまいねー。」「生活保護で将来は暮らしな。」姉「親父の老後の世話を頼むと言われた。アンタはこの家出ていくからいいのよ。私の十年先を考えると死にたいよ。」こんな言葉を繰り返されるうち、だんだん怒りが込み上げてくるようになった。
そうだったのか。自分は徹底的に良い子だった。だけど、それは、「そういうふうに育ってくれないと世間的に困る」こと、もっといえば「そろそろ世間的に結婚する時期だよな。」ということで結婚。「そろそろ子供がいても世間的におかしい時期じゃないよな。」感覚で私誕生。それに気づいてから、神経症がみるみる回復。同時に真実がはっきりしたことで、「俺は結婚してくれなんて頼んだ覚えはない!」「そんなに働くことが苦痛で家をたてるなら、結婚なんてはじめからしなければいいし、そんなに子供が邪魔なら子供なんて作らなければいいじゃないか!」薬の副作用で一時期80kgまで増えた体重も両親の離婚を機に、60kgまで減少。
そうしたら今度は父「お前なんで食べないんだ?俺が怒ったからか?」私が近所に買い物に行こうとすると「お前どこにいくんだ?」睡眠剤で朝が弱く、ついつい持越しで朝寝坊が続いたとき、「全く今何時だと思っているんだ。だらしがない。俺が死んだらおまえどうやって生活していくんだ?そんな薬なんか飲むのやめちまえ。そんなの気の持ちようでなんとでもなるんだ。」「おまえももういい歳だ。本当ならこの家のことは俺がやるから、お父さん楽しててくらい言ってみたらどうなんだ?」「孫の顔くらいみせてみたらどうなんだ?」そうかと思えば、「おまえ、小さいときは泳げなくてな〜いつもビービーないていたもんだぞ。」
「おまえの小さいころの写真は本当にかわいくて、声変わりする前の歌はとても素晴らしかったんだぞ。録音したテープがあったはずなんだが、どこにやったかな〜?」親から精神的にはなれたことにより神経症の症状は回復過程にある。
私は、「子供より家が大切なら、なんで俺を産んだんだ?もっと言えば、そもそもなんで結婚したんだ?俺はオマエらに結婚してくれなんて頼んだこともないし、おれを産んでくれなんて一言も頼んだおぼえはない!」と、いつも強く思うようになり、一緒に住んでいる父親の顔、声、物音、ごはんになると呼びに来る、そういったわたしに対する行為などに拒絶しはじめたし、父の精子からできたこの私という存在、この顔、声が大嫌いになり、自分の顔を鏡で見るのも苦痛になった。
父の「この家は俺が汗水たらして死に物狂いではたらいて〜」とわたしに逆上して見せた時の眉毛の位置や、口もきいてくれなかったときのことが、トラウマになり、とらわれ、思い出すだけで「テメー俺はオマエに産んでくれなんて、ひとことも懇願したこともない!そんなに苦労するのが大変なら俺を産むんじゃねー!そんなに死にたいなら死ねばいいじゃねーか!もういい歳だから独立して孫の顔くらいみせてみろといったその同じ口から、飯だから降りて来い。ついでに買い物とお使い頼まれてくれ、そこからおれの酒とってくれ、明日床屋いくんだが、得意先が来る約束があるから、かわりにいてくれ」などど、あまったれたことをぬかしやがるので、
夜になると「このやろう、そんなにしにたいなら死ね〜生きていてくれなんて頼んだおぼえもない!」そのまつげの位置と目つきがフラッシュバックし「死ね!」「しね〜!」と声を絞り出して、のたうちまわるように夜中に叫ぶようになり、こんな自分にだんだん嫌気がさしてきました。ほとほと疲れました。もう気力だけで動いていますが、満員電車に乗れなくなりました。人目が怖くなりました。部屋にこもるようになり、日中は朝から家を出て、夜に父が寝たころをみはからって帰ってくるようになりました。次第に死にたい願望が襲ってきました。呼吸も荒くなり、心臓もドキドキします。手を洗わずにいられなくなり、父に起こされるのが嫌で、睡眠剤もやめました。
2時間くらいしか眠れません。肩こりが激痛に変わりました。「しね!」「しね!」叫ぶのももう疲れました。何をやってもどうせムダ。実際そういわれて育ってきました。家族のペットだったわけです。電車での遠出ができなくなりました。手足が異常に冷たく感じるようになりました。「なんでこんなに冷たいんだろう?俺はひょっとして死んでしまったのか?それならいいのだが、こんなことがあと何年も続くのだろうか?」
もう、とても耐えられません。
2
:
晴美
:2011/02/09(水) 14:18:00
私は今リスカしています・・私は今学生なんですけど学校は辞めてしまいました・・今生きているのが辛いです何のために生きているのかもう分からない・・私の両親は私が小学生の時に離婚しました・・だけど今言える事は死にたいということです・・
3
:
晴美
:2011/02/09(水) 14:20:09
私は今リスカしています・・私は今学生なんですけど学校は辞めてしまいました・・今生きているのが辛いです何のために生きているのかもう分からない・・私の両親は私が小学生の時に離婚しました・・だけど今言える事は死にたいということです・・
4
:
クマ
:2011/02/09(水) 21:20:48
晴美さん、ありがとう。はじめまして、クマです。いま、一番ご両親からの愛が必要なのに早くに悲しい出来事があったのですね。でも、晴美さん、クマは傷の舐めあいはしません。晴美さんにとても失礼と思うからです。南条あや「卒業式まで死にません」ご存知でしょうか。
晴美さんは、彼女の悲痛な心の叫びをご理解頂ける方と思います。あなたのままでいて下さい。とりあえず、生きててくれてありがとうございます。
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