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テクストには内部も無い

1ひらめいた!ピコピコピーン!!:2008/08/23(土) 17:29:36 ID:tdHZrsL.
テクストにはたぶん内部が有る。デリディアンは外部の無いことを強調する。強調するだけだ。強調だけに留めるしそれを強調してばかりだ。けど、だいじょうぶ。内部はきっと有る。
まず、内部というものは本源的に外部と同等である。テーブルに置かれた「その瓶」を考えてみよう。瓶の内外は空気で満たされている。ほら見たことか、明らかに同等である。しかし実のところ、この論法はまったく立ったものでないのだ。これでは「或る観点からして同様」であることを見たにすぎない。なぜならこれらの概念は空気の存在を前提しない。空気があるという点で同等なのだが、それは賦存量の観点からすれば明らかに違う。さらに言えば外部にはテーブルもある。わたしが示したいのは「内部」と「外部」とがそれそれ表象される際既に認識論(だけ!)に侵されているという点、そして概念的には同等だと言う点である。
ゼンマイ仕掛けの匣型機械を考えよう。フェチにはたまらない仕掛けが詰まっている。
なかに何があろうと、内部が外部と同等であることを否定できない。ゼンマイと匣のあいだには外部がある。そしてそれはわれわれからみれば匣の内部である。これこそが同等性である。これは概念的地平で捉えられねばならない真理である。
ところがわたしは、ゼンマイ仕掛けの匣型機械、と言った。そこには明らかにゼンマイの仕掛けも含まれるのではないか。
しかし、心配するでない。ゼンマイ仕掛けの匣型機械から見て、ゼンマイの仕掛けの内側にはなんらか冗長的な余地が残されている。
しかし、それをも含めてゼンマイ仕掛けの匣型機械と言っていたのだとしたら? すべての冗長性を含めてそう指示していたのだとすれば? つまり、少なくとも原子結合の際までを「ゼンマイ仕掛けの匣型機械」に含めていたのなら? ならば、それはいかにして表象されているというのか。テクストに外部は無い、で、デリダは「事象」を否定している。だが、冗長性を含めて指示するとき、それは指示されているものの外の「事象」ではない。むしろ胎蔵されている。それは恐らく表象不可であるが、それは内部として表象されていないからこそ表象不可なのである。だからテクストの物質性(インクのことではない)を考えると、たぶんあるんじゃないだろうか。ヘーゲルなら言うだろう、テクストには内部が無限に詰まっているのだと。問題は、「外部」と「内部」とがはたして同等であるだけか、同一だったりはしないのか、なのだが。

2南京町のアドルフ・ライナッハ ◆713kZHE.HU:2008/08/23(土) 17:36:52 ID:tdHZrsL.
このスレの中でそれを分析する、という一番慎ましいやり口は、今眠いので、後に取っておこう

3ほとばしる精液 ◆oH2qd2pAmw:2008/08/23(土) 17:47:18 ID:Y0jmettM
プッwコテ入れ忘れてやんのw

4、、 ◆y7NbG3k3rc:2008/08/23(土) 17:47:34 ID:S/7k/ogo
女体という神秘


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