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(*゚ワ゚) ダッココソガ シィノ マターリ ナンダヨ♪ (^ー^*)
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:2025/12/26(金) 13:16:29 ID:o3mascDQ
🌀人間には「寄りかかりたい」という欲望がある。支えがなければ立っていられない。だけど、その「支え」を探し続けるうちに、自分が誰の肩に寄りかかっているのか、わからなくなる人がいる。
依存型と呼ばれる人たちだ。
彼らは敵味方の区別がつかない。むしろ、区別を放棄している。都合よく扱ってくれるなら敵でもかまわない。裏切られても、その痛みさえ「存在の証」として受け入れてしまう。ここに、厄介さと哀しさが同居する。
🐻ちょうど熊に遭遇したときに「かわいい!」と近寄ってしまう観光客のようだ。危機管理よりも写真映えを優先する。そのあとニュースに出て「野生動物は予測不能です」と専門家に呆れられる。日本社会そのものも、どこか似ている。危険を「敵」として認識する前に、「もしかして味方?」と勘違いする。まるで熊が観光大使であるかのように扱う。結果として、観光客も社会も、しばしば痛い目を見る。📸
🌑例えば、ひどく搾取されている関係でも、依存型の人は「それでも必要とされている」と感じてしまう。暴力を振るう人を「でも、優しいところもある」と語る。裏切る人を「でも、あの人には事情がある」と庇う。そこに論理はない。ただ、そこにしか居場所を見つけられない。敵を味方に変えられないのに、「熊だってきっと心を開けばペットになる」と信じてしまうようなものだ。
⚖️人間関係における均衡は、本来「境界線」によって守られる。あそこから先は踏み込ませない。ここから先は渡さない。そうやって人は、自分の形を維持している。ところが依存型は、その境界を自ら消してしまう。相手の色に染まり、相手の望むように形を変え、自分を溶かしてしまう。そうすることで、やっと捨てられずに済むと信じている。しかし、溶けたものはいつか蒸発する。残るのは空白だけだ。
🔥敵と味方を区別できないということは、自分自身を守れないということでもある。信頼と服従の違いが、判別できない。愛情と依存の境界が、見えない。だから、壊れる。気づいたときには、取り返しがつかないほど損なわれている。それでも依存型は、また誰かにしがみつく。そこに繰り返しがある。彼らの生き方は、溺れながら呼吸を求めて水面に顔を出す姿に似ている。一瞬、空気を吸えたとしても、また沈んでいく。その繰り返しだ。🌊
そして、この依存の構図は個人にとどまらない。国全体にも当てはまる。日本は中国にもアメリカにもインドにも、真正面から対等に話すことができない。大国の顔色をうかがい、強く出れば叩かれると恐れ、弱く出れば利用される。熊に近寄って「仲良くしましょう」と差し出した手を食われるのに、また別の熊に同じ手を差し出す。その卑屈さは、依存型そのものだ。🐾
🌲社会は、そういう人たちを「弱者」と呼ぶ。だが弱者とは限らない。ときに彼らは、自分を守るために他人を利用する。敵味方の区別ができないのは、無垢さではなく、計算を放棄した利己でもある。依存型の本質は、甘えと狡猾さの同居だ。日本の外交もまた同じだ。自立よりも依存、境界線よりも「和」を選ぶ。だが「和」は往々にして「隷属」と区別がつかなくなる。
だからこそ、こちら側も区別を明確にしなければならない。味方ではないものを、味方に見間違えないこと。敵であるものを、敵として受け入れること。その冷酷さが、むしろ自分を守ることになる。個人も国も同じだ。境界を引けるかどうかで、形を保てるかどうかが決まる。
依存型に巻き込まれると、周囲の人間も区別ができなくなっていく。善意と悪意、責任と免罪、正義と妥協。その境界が溶けていく。すると世界はただの混沌に変わる。混沌に足を取られると、人は正しい判断を下せなくなる。日本が卑屈なままでは、国民もまた依存型の思考に絡め取られていく。
敵味方の区別をなくした世界は、やさしい世界ではない。曖昧さの中で人はすり減る。すり減りながら、自分の形を失っていく。結局のところ、依存型の人に必要なのは「支え」ではなく「境界」なのかもしれない。誰かに寄りかかるのではなく、どこまでが自分で、どこからが他人なのか。その線を引くこと。そこからしか回復は始まらない。
💡そして私たち自身も、知らず知らずのうちに依存型の傾向を抱えている。SNSの「いいね」に寄りかかり、数字の波に酔いしれる。他人の承認を呼吸のように吸い込み、敵味方の区別を曖昧にする。つまり「熊動画に癒されて、実際の熊にも癒されると思う」その錯覚だ。だから、この話は「誰か」の問題ではなく、「私たち」の問題でもある。
敵と味方を区別することは、冷酷ではなく、生き延びる技術だ。その線を引けるかどうかで、人も国も形を保つ。依存に飲み込まれないために。卑屈さに溺れないために。🌐
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