したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

あと3話で完結ロワスレ

268【298話:それはのばらのように】  ◆xo3yisTuUY:2013/01/31(木) 23:54:56

 そんな阿部の顔を、鯨が覗き込んできた。
 卵が孵化するのを待ち侘びるかのように。阿部の死を見届けるためだろうか。
 黒いシルエットのように、彼の顔は照明の影となっていて表情が見えない。
 だがそれは、まるで深淵に覗き込まれているかのような――
 
 突如、阿部の脳内に流れ込んでくる、走馬灯とは違う映像。
 心地よい回想が突如として濁っていく。視界までもそれに侵されていく。
 泥のようなものに塗りつぶされていくように、思考がそれに支配されていく。
 それは怨念であったり、憎悪であったり、恐怖、嫉妬、――絶望。
 自身の人生から、幸福だけを取り除いた出涸らしのように、無造作で無機質な負の感情の塊。
 自分の前で死んでいった者たち。自分が殺した者たち。自分の手が届かなかったものたち。
 そういったものの、見えるはずもない感情が形を持って渦巻いて、曖昧ながらも明確に、色を持ち、脳内から心へと押し寄せる。
 亡者たちが、地獄の底から手を伸ばし、自分を絡め取り引き摺り落とそうとしているような。
 それは、生きようとすらしていない自分を、さらに死へと駆り立てるような。
 現実で感じるすべての感情を否定し、死という安楽へ逃げ込みたくなるような。
「――人は誰でも、死にたがっている」
 感情が、生存本能へ反乱を起こしているかのような――。

「これ、か」
 阿部は、呻いた。
「雪歩をやったのは、これか」
 脳内の映像を掻き消そうともがきながら、呻くように言葉を搾り出す。
 閉じかけていた目を見開き、自分を見下ろす男に、憎悪の篭った視線を遣る。
 確信があった。あの時、あの僅かな時間に、あの臆病な少女に自らの死を選ばせたのは、きっと、この感情に他ならない。
 それを駆り立てているのは、間違いなく、この男なのだという、確信が。

「雪歩という者は知らない。だが俺の前で命を絶った、雪の似合いそうな女はいたな」
 阿部を見下ろす鯨は、こともなげに答えた。
 特に感慨も無く、その死に思い入れも無い、そういった口ぶりだった。
「――そうか」
 阿部は、再度呻いた。語尾が震えた。

「俺は、お前を探していたぞ」
 倒れたままの、阿部の声が一段と低くなる。
 唸るような、目の前の敵を噛み殺してやりたいとでも言いたげな、野獣の声になっていた。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板