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92Mr.名無しさん:2011/09/03(土) 22:06:05
<コンセンサス>ではなく<空気>に支配されてきた、日本の原発推進派と脱原発教信者たち

 「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり、それに抵抗するものを異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力を持つ超能力であることは明らかである。(中略)われわれが、「空気」に順応して判断して決断しているのであって、総合された客観情勢の論理的検討の下に判断を下して決断しているのではないことを示している。だが通常はこの基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから、「空気」と呼ばれているのだから。

『空気の研究』山本七平(文春文庫)22ページ

 われわれの世界は、一言で言えば(注:欧米社会と違って)アニミズムの世界である。この言葉は仏物神論(?)と訳されていると思うが、前に記したようにアニマの意味は"空気”に近い。従って、アニミズムとは”空気”主義と言える。この世界には原則的に言えば相対化はない。ただ、絶対的な対象が無数にあり、従って、ある対象を臨在感的に把握しても、その対象が次から次へと移り変わるから、絶対的対象が時間的経過によって相対化できる−ただし、うまくやれば―世界なのである。それが絶えず対象から対象へ目移りがして、しかも、移った一時期はこれに呪縛されたようになり、次に別の対象に移れば前の対象はケロリと忘れるという形になるから、確かに「おっちょこちょい」に見える。(中略)

 簡単に言えば、経済成長とか公害問題は相対的に把握されず、ある一時期は「成長」が絶対視され、次の瞬間には「公害」が絶対視され、少したって「資源」が絶対視されるという形は「熱しやすく冷めやすい」とも「すぐ空気に支配される」とも「軽佻浮薄」ともいえるであろう(以下略)。(69−70ページ)

 山本七平が生きていれば、21世紀の日本人が、ある一時期には「温暖化対策」を絶対視し、次の瞬間には「放射能への恐怖」を絶対視し、少したって「再生可能エネルギー」を絶対視するというこの有様を見てどのように思うだろうか。自分の主張が今持って妥当性を持つことに満足するかも知れないが、成長できない日本人に失望もしたことだろう。<コンセンサス>は万能でもないし、全てが解決するわけではないが、<空気>に支配されることよりはマシである。

 私たちが、原発というエネルギーから卒業するには、<空気>の支配圏を抜け出し、原発のコスト、放射能のリスクについても客観的に議論するべきである。そうして、最終的には議論を踏まえたうえで「国民投票」という多数決コンセンサス形成の試みを実行するしかない。民主主義の手続きを無視すると「官僚による国家統制」がすぐに顔を出す。気をつけよう。(了)


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