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誰かが働かなければ人は生きていけない件について

77Mr.名無しさん:2005/11/09(水) 20:43:02
似た話を見つけた。 
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小説は、技術だけで書ける?
ttp://sultan.blog1.fc2.com/blog-entry-167.html
 小説は技術だけで書ける。そう、最近のハウツー本は言う。
 小説を書くという行為をめぐる神話性──小説は誰でも書けるものではなく、特別な人、
選ばれた人しか書けないのだ、という古くさい特権的な神話──は、ここ数年、
ハウツー本の世界で急激に剥ぎ取られつつある。文学批評の世界では、100年も前に
作者の絶対性が剥ぎ取られてしまっているが、ようやく、それがハウツーの世界にも
下りてきたというところだろう。
 だが、「誰でも」という普遍性を強調するあまり、ハウツー本の書き手たちは重要なことを、
意図的に忘れているようだ。
 確かに、小説は鍛練すれば誰でも書けるようにはなる──ただし、それは
ほんの一冊だけならば、という限定つきだ。鍛練すれば、とりあえず一冊は書くことができる
ようにはなるだろう。だが、一冊書けたからといって、その後何十冊も書けるようになるか
と言えば、そうではないのが小説の世界なのだ。何十冊も書くためには、自分の中に
それだけ執念のようなもの、追いかける対象やエネルギーがなければならない。
そして、それは技術とは別物なのである。書くこと、追い求めたいことがなければ、
何十冊も書いていくのは難しいのが、小説の世界なのだ。
 一冊書きあげるのは、技術である。しかし、何十冊も、何十年間も小説を書きつづける
ことは、決して技術ではない。少なくとも、技術だけでは済ませられない。
小説を一冊書くということと、何冊も何年間も書きつづけていくということとの間には、
埋められない隔たりがあるのだ。そこにはいまだなお、神話性が眠っている。
 誰でも小説は書けるようにはなるのかもしれないが、誰でも何十作も
小説を書きつづけられるようにはならないのだ。そして、その「何十冊も」というところに、
なお神話性が、作家の作家たる所以が、特殊性が眠っているのである。


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