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【野田サトル】ゴールデンカムイアンチスレッド17【ヤングジャンプ】

962名無しさん:2022/03/31(木) 19:25:31 ID:UNBfkEfw
アイヌって元々は超格差社会で、裕福な酋長とその一族が家僕(下人あるいは下僕。ウタレ)や妾(チハンケマチ)を持つ制度があった。
松前広長の「松前志」(一七八一)の巻の一「蝦夷風俗」には
「一邑の酋長ともなりて家畜家僕多きものは妾を置事十餘人より二十餘人に及べり。妾をチハンケマチ、下僕をウタレと云り。妾多きものは必ずしも色欲多淫なるのみに非ず。下人多きは終日毒箭(どくや)を負て深山幽谷飛走し獣を追、或は舟を大洋に浮かべ海底に沈没して魚介をとる。岸に来て是を道路に打捨て、他の交遊を爲(な)して甚だ懶堕(らいだ)なれども、妻妾ひとしく集り混じて是を運び乾し是を脯(ほじし、干した肉)とし是を脡(せん、塩漬けの肉)とするの類、皆妻妾の業なり。風雨せば妻妾各其屋に居て服を織る。諸産業悉く又女子の手に出ざるはなし。故に妾を多く扶助する夷人(※当時のアイヌの呼び方)は必其家豊饒なり。然ども定る妻妾の他は妾を家内に雜居為さしめず。近郷各家を與(あた)へ住しめて酋長毎夜に妾屋へ巡行を爲(なせ)ども、本妻は云に及ず、妾婦亦各嫉妬の惡念を現さず」

獲った獲物は男達が打ち捨てた後は放ったらかし怠けて、後の加工は女達がやっていたというから「獲物/命に感謝する」意識が彼らにどれだけあったかは分からない(地域によって差が大きかったのかもしれないけど)
他にもアイヌは交易のためにワシ、ラッコ、オットセイ、エゾシカ、サケなどを乱獲し一部は殆ど絶滅に追い込んだ。道東のアイヌは得撫島に渡り、年間三千頭のラッコを乱獲し、江戸時代当時既にラッコは希少となり一頭が五十俵の米と交換されていた。乱獲で絶滅の危機に瀕したため、明治四十五年に明治政府が「臘虎膃肭臍(ラッコオットセイ)獣猟獲取締法」を制定して保護に努める程だった。

妾については坂倉源次郎の作と伝わる「北海随筆」(元文四年/一七三九年に著された)の中にも記述がある。
「総じて女の心は貞淑で嫉妬の心もなく夫に従うことはとても慎み深い。アイヌの習慣で富裕な者ほど多くの女房をもつ。女房が五人あればそれぞれ五ヶ所に住居があり、何か事があると女房達が皆が集まって共々に夫を助けて付き合いも睦まじい。お産をするときは自分一人で済ませ他の助けを借りない。産気づくと横になって安産してそのまま海に入って子を洗い、汚れた物を濯ぎ洗う。産後の興奮状態もなく、その子も引きつけや不機嫌もない。」

妻妾の間で嫉妬は無いと記述されているが、久保寺逸彦氏著の「アイヌの文学」には妻が自身の夫が妾の元へ行く事に対して嫉妬する気持ちを子どもに語りかける内容の歌が載っている。
アイヌ社会では富裕者(酋長とその一族)が若い女性の多数を妾として独占し、単に囲うのではなく労働力として働かせていた為に夫側は益々裕福になる一方、ウタレの身分の男達は結婚の機会に恵まれない状況(稼ぎが良ければ酋長に結婚を許される者もいたが、従属する身分は変わらない)で、家僕も妾も時には交易で取引される商品として、大陸や樺太の異民族との交易で絹や犬などと交換されていた。間宮林蔵(『北蝦夷分界余話』)はアイヌの寡婦や孤独者、貧困者や子供まで山丹貿易の商品とされたと報告しており、文化四(一八〇七)年、江戸幕府はアイヌが山丹人に多くの負債を持っている事が不正な交易の原因と考え、アイヌの山丹商人に対する負債を全額支払って新たに官立の交易窓口を設けて不公正な交易を禁じた。明治期に樺太に来たチェーホフもアイヌ女性が売られていたことを著書『サハリン島』に記している。

こうした文献の記述はアイヌに負のイメージを付けさせたくない現在のアイヌ協会やウ○ポイなんかではスルーされてる。一度絶版した後に彼らが関わって再版されたアイヌ関係の本には「都合の悪い」部分が削除されてるものもある。
そういった人達のバックアップを得て描かれたこの漫画は上記のアイヌの格差社会には全く触れられていないし、明治期のアイヌや和人の複雑な状況を描くのはそもそも不可能だったと思う。作者自身も奥さんを始め多くの人達の助けを借りながら執筆していたのなら尚更のこと、当初から無理してたんじゃないかな




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