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562花音:2012/10/11(木) 07:33:18 HOST:205.173.243.49.ap.yournet.ne.jp
平和(へいわ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .peace

平和の概念は、大きく分類すれば消極的平和と積極的平和との二つに分かれる。この二つの平和概念は、いずれも歴史的かつ文化的な特殊性を帯びていると同時に、他方、それぞれの歴史の位相、文化の位相において普遍的な性格をも示してきた。一定の歴史的・文化的な位相に置かれた平和の概念において中心部と周辺部とで相対立する内容が表明されているようなこともまれではない。そのこと自体、平和概念を検討する際、普遍的性格の理論化を無視できないことを反映している。しかし、平和概念の普遍的性格をその特殊的位相においてとらえることは、かならずしも容易ではない。そこでは理想と現実との間で大きな乖離(かいり)が往々にしてみられるからである。核ミサイルの時代においては、文明のこういった発展段階において、平和のどういった特殊性が普遍的な理論化のなかで位置づけられてグローバルな平和を創出しうるかということが最大の争点となるであろう。現代において平和を探求する究極的課題もまた、ここにあるといわなければならない。

[ 執筆者:関 寛治 ]
目次目次を閉じる平和
1.戦争の欠如態としての消極的平和
2.積極的平和概念の主張
3.構造的暴力をめぐって
4.文化的平和概念.1. 戦争の欠如態としての消極的平和
消極的平和は戦争の欠如態を意味する。科学技術の発達とともに大規模戦争が非戦闘員の大量虐殺につながるようになったことは、文明の発展段階が高次化したことの逆説的なアイロニーでもあろう。確かに、科学技術が高度に発達した西側あるいは東側先進諸国の間での大規模戦争の頻度は理論的にも現実的にも著しく減少(核時代においてそれはゼロに近づきつつある)した。しかしそれがゼロとならない限り、人類死滅につながりうるような核戦争勃発(ぼっぱつ)の究極の危険性はつねに残る。

これら諸国内で、大規模戦争の歴史的経験が遠ざかるにつれて、平和が失われたときのイメージも風化してゆくのは当然である。今後の戦争を過去の戦争からの類推で専門家も考えるし、素人(しろうと)もまた戦争体験の風化や欠如のゆえにむしろ戦争を古典的な形で美化して描きがちである。戦争が勇気とか献身とか忠誠とかに表現されるような人間倫理にとって好ましい情感の対象としてノンフィクションものや戦記物などで描かれるようになると、その傾向は、敵からのありうべき脅威という宣伝と容易に合流するようになる。次の戦争に対しても、戦争の科学的現実からまったく切り離された主観的、民族主義的なレベルで考えられるようになる。戦争を受け入れ可能な、あるいは場合によっては必要な手段だとみなす人口のパーセントも急激に増加するようになろう。


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