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【通貨先物何でも】マッタリコッテリスレ 191枚目
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>対話26
質問者
どうすれば世界の顕現の究極的原因であり、その本質である心の本性を見いだすことができるでしょうか?
マハルシ
想念をその価値の順位に並べてみると、「私」という想念が最も重要だということがわかります。
人格という概念もまた、その他すべての想念の根や幹です。
それぞれの観念や想念は誰かの想念としてのみ起こり、自我から独立して存在することはありません。
それゆえ、自我が想念の活動を表すのです。
二人称と三人称の代名詞である「あなた、彼、あれ」などは、一人称代名詞の「私」なしには存在しません。
それらは一人称が現れた後にのみ現れます。
つまり三つの人格はともに現れ、ともに消えていくのです。
それゆえ、「私」または人格の究極の原因をつき止めなさい。
「私」という観念は身体を得た自我に起こります。
それは身体あるいは有機体に関係しているはずです。
ちょうど話すことや性欲が脳に中心を置いているように、「私」は身体の中、あるい特定の場所に関係しているのでしょうか?
それとも、「私」は脳、血液、内臓に中心を置いているのでしょうか?
「想念という生気」は脳と脊髄に中心を置いています。
そして脳と脊髄の中を血液が循環し、食べ物と空気を適切に混合し、神経物質に変容させることで、この想念という生気は養われているのです。
それゆえ、血液循環、呼吸作用、栄養摂取を含めた自律的な生命作用または生気は、身体組織の中核あるいは本質だと言われています。
このような理由から、心は生気の現れと見なされ、また心はハートに宿ると考えられているのです。
質問者
心を消去し、その代わりに直観を発展させる修練方法について伺いますが、それらは心でも直観でもない中立的な基盤をともなう、二つの異なった段階なのでしょうか?
それとも真我を実現するには精神活動のない状態が必要なのでしょうか?
マハルシ
修行者(アビャーシー)にとって、二つの明確に異なった段階があります。
一つは眠り、昏睡、気絶、狂気などに共通の基盤である精神活動のない状態と、もう一つは自己意識の存在しない状態です。
質問者
心を消し去り、相対的意識を超越するにはどうすればよいのでしょうか?
マハルシ
心は本質的に落ち着きのないものです。
落ち着きのなさからそれを解放しなさい。
安らぎを与えなさい。
気を散らすものを避けなさい。
内側を見るよう訓練しなさい。
そしてそれを習慣としなさい。
外的な世界を無視し、心の平安を妨げるものを除くことで、そうすることができるようになります。
質問者
どうすれば心を落ち着かせることができるでしょうか?
マハルシ
外的な接触──自己以外の対象物との接触──が心を不安定にさせるのです。
真我ではないものへの興味を失うこと(ヴァイラーギャ)が第一段階です。
そうすれば内観と集中の習慣がそれに続くでしょう。
そして外的な感覚や内的な知的機能を制御することが、最終的にサマーディへと導くのです。
(´・(ェ)・`)つ
ついさっき、拾ってきた文章であります。
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