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ただの世間話 その3

499NINJA300:2019/05/02(木) 12:29:42
そう、その通り、
「マッカーサー憲法」では、
想定外でなし得ないことである。
しかし、
陛下は、
まさに、それを為されたのだ。
時、平成三十一年四月三十日二十四時である。
この天皇陛下の御決意の前に、「マッカーサー憲法」など存在しない。

そして、この事態に狼狽えた内閣は、
皇后陛下の言われた、
「承詔必謹」(聖徳太子の十七条憲法)詔を承れば必ず謹め、
の反対を行った。
即ち、
天皇の御譲位を、
フランスのルイ十六世やロシアのニコライ二世の遭遇した
革命による王制打倒による退位と同様に扱ったのだ。
これは、あたかも、
歴史と伝統に根ざす揺るぎなき真実の姿に、
凸凹のレンズ(マッカーサー憲法)を当てて歪んで見える虚像を
現実の姿であると思い込む愚かさである。
即ち、
世界最古の我が国の万世一系の皇位継承の在り方を、
こともあろうに、その母国の政府自身が、
実に、母国を裏切るが如く、
軽薄なる二十世紀の人民共和国における権力者交代と同じように扱って恥じない
不遜なる粉飾、不敬極まる「レッテルの詐欺」を為したのである。

だが、この反面、
万人の前に明らかになったことがある。
これが、近い将来、我が国を明るい本来の日本に甦らせることになる。
天皇陛下が、
御自らの御譲位によってこれを天下に示されたのだ。
それは、
「マッカーサー憲法」は、GHQの日本統治基本法ではありえても、
日本の「憲法」ではないということだ。
よって、この度の御譲位は、
天皇陛下による、
「マッカーサー憲法」の無効宣言に等しい。
これ、まことに尊い御業(みわざ)ではないか。
即ち、ここにおいて、明らかになったのは、
悠久の昔から今に至る天皇と国民の家族の国である日本の
「歴史と伝統」と「マッカーサー憲法」との文明の相剋であり、
御上御一人の「大御心」が、これに打ち勝ち、
「マッカーサー憲法」の桎梏を解体したということだ。
このようにして始まった「令和の御代」が、
太古からの力を承けた明朗にして力強い日本の甦りの御代にならないはずはない。

そこで、ここで思い起こすべきは、
第百八代後水尾天皇の御譲位だ。
後水尾天皇(一五九六年〜一六八〇年)は、
関ヶ原の合戦の勝利(一六〇〇年)に続く
慶長二十年(一六一五年)の大坂夏の陣で
豊臣宗家を滅ぼして天下の覇者となった大御所徳川家康と二代将軍秀忠が、
直ちに「禁中並公家諸法度」を制定すると同時に京都所司代を設置して
禁中即ち天皇を幕府の統制下に置く事態に直面した天皇である。
承久の変(一二二一年)に勝利した鎌倉幕府も、
畏れ謹んで禁中を統制下に置くことはなかった。
しかし、禁中並公家諸法度は、
幕府を天皇の上位に置く、我が国政史上前代未聞の措置であった。
それ故、後水尾天皇は、
天皇の勅許を幕府が無効とする事態(紫衣事件)や無位無冠の三代将軍家光の乳母である春日局が宮中の仕来りを無視して参内するという事態(金杯事件)に直面し、
突如、六歳の内親王(明正天皇)に譲位され、
以後、四代にわたる自らの実子の天皇のともで、
五十年間にわたり上皇として徳川幕府を越える朝廷の権威を天下に明示し続けられた。
そして、この天皇、上皇の御代に、
崎門学の祖である山崎闇斎や
水戸学の祖である徳川光圀そして
「中朝事実」を書いた山鹿素行などの、
「尊皇」という明治維新の思想的バックボーン、
即ち、國體思想を産み出す救国の思想家が相次いで生まれたのだ。
後水尾天皇の御譲位が、
幕府の上に天皇の権威があることを天下に示し続け、
二百年後の「禁中並公家諸法度体制」からの脱却と
「王政復古」を促したといえる。
同様に、この度の天皇陛下の御譲位が、
「マッカーサー憲法」の廃棄、即ち「マッカーサー憲法体制」からの脱却と
「明るい本来の日本の復古」を促している。

さて、ここまで記してきた上で、本稿が何を目指しているか明示する。
それは、
宮中(禁中)における
「マッカーサー憲法」超越を目の当たりにして、
世俗の我らは、
如何にして、この「マッカーサー憲法」を廃棄するのかである。
「改正」するのではない。
「廃棄」するのだ。
「無効」なものは「改正」できないではないか、捨て去る以外にない。
そして、これが即ち、
国家と国民を滅亡から救う。
繰り返すが、
この度の御譲位は、
御上御一人で、
「マッカーサー憲法」から脱却されるという歴史的なまことに尊い御業である。
これを承けて、
我ら日本国民(臣民)が、御上に続かずしてどうする。




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