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ただの世間話 その2

831NINJA300:2018/02/26(月) 11:04:38
即死した斉藤内大臣の妻は、
兵が斉藤に向けた銃口に手を当てて射撃を防ごうとして手を打ち抜かれた。
渡辺教育総監は、
とっさに娘の和子(昭和二年生)を家具の奥に隠し、
陸軍大将らしく拳銃で応戦したが機関銃の掃射を受けて娘の前で即死した。
父の機関銃弾を受けて肉が飛び散る最後を目の当たりにした娘の渡辺和子は、
カトリックの修道女としてノートルダム清心学園理事長となり
一昨年の十二月に亡くなった(2016年12月30日)。
私は、彼女の書いた「置かれたところで咲きなさい」という著書を読んだ。

226事件を起こした将校は、それぞれ、
陸軍歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、近衛歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊に属した大尉と中尉だ。
この帝都の第一師団の中核をなす各連隊から226の将校が輩出された理由は何か。
その出発点ともいうべき理由を、日露戦争にあると突き止め、
鈴木壮一氏は次のように記した(同氏著「日露戦争と日本人」)。
これを参考にして頂きたく紹介する。
第一師団は、日露戦争において乃木希典第三軍の中核として戦ったが、
常に総司令部から理不尽な「督戦命令」を受けてきた。
そして、鈴木氏は次のように記されている。

「金州南山、旅順要塞の松樹山・二〇三高地攻防戦、奉天会戦と、
休む間もなく、連続して最大激戦地へ投入され、
最も激しく消耗した第一師団(東京)の
第一線を担う青年将校の間では、
この後も、陸軍統帥部に対する根深い不信が語り継がれた。
そして、時が流れて昭和初期。
内外情勢が深刻化すると、
この伏流水は二・二六事件となって、一気に奔出するのである。」

彼ら青年将校達に共通するものは、「政党政治への激しい憎悪」である。
彼らは、襲撃後、陸軍首脳を通じて、天皇陛下に昭和維新を願いでるも、
天皇陛下は拒絶された。
そして、政府は、彼らを「反乱軍」とし、
戒厳令を布告して討伐を決定した上で、投降を呼びかける。
将校達は、一部は自決するが、残りは下士官兵を原隊に帰し、投降した。
そして、裁判を経て銃殺刑に処せられた。

以上が、226事件の概要である。
彼ら反乱軍として自決し銃殺刑に処された青年将校達は、
三島由紀夫の作品と行動に大きな影響を与えた。
彼らは、我が国の歴史、青史に刻まれて、忘れられることはない。
現在の我が国の「政党政治」を観ておれば、
彼ら青年将校達のもった「政党政治への激しい憎悪」が理解できる。
それは、尊皇愛国の至情から生まれたものである。




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