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第7艦隊

757:2020/06/15(月) 15:40:16
●五代相撲協会の設立(推定:9月6日)
大日本の大型新人として期待され入幕した豊光、舞鶴であったが力不足は明らかで、「屋貴時代」を打破できず協会内にマンネリの焦りが生じた。
また、今後の在り方について協会内に意見対立があり結果として分裂が生じ「五代相撲協会」が設立された。
表向きは美津錦が猫場所をボイコットし「美津錦の反乱」と騒がれたが、内情は大日本とこれを支援していた五代グループの策略であった。
分裂の報にファンは驚き、再び大日本と五代の動きに注目するようになり協会と五代グループの目論見どおりとなった。
なお、策略を知っていた現役力士は敢えて反乱者とされた美津錦だけであった。
五代相撲協会の設立式典の様子は記録がない。単に「美津錦等のボイコット」の記述があるだけである。
五代相撲協会の初場所は9月15日に実施され五代生粋の麒麟山の優勝で終わった。
麒麟山以外に有力力士としては大日本を脱退した大和川がいた。大和川は同期の武藏谷とともに大日本期待の力士であったが、
武藏谷が2連覇している陰で大和側は決定戦にも敗れ武藏谷戦は0勝6敗(決定戦2戦を含む)でファンからは「負けない横綱」(優勝できない横綱)と揶揄されていた。
美津錦は協会が「大和川期待外れ」で処遇に苦慮していたことを知り、大和川を不憫に思い五代に誘ったと言われる。この誘いに対して大和川は二つ返事であったという。
期待された五代相撲協会であったが興行はなんと、このひと場所のみであった。これには美津錦も予想しておらず自身が名誉横綱でありながら全敗したことが原因ではないかと思ったらしい。
しかし、ファンは美津錦の限界を知っており最後まで暖かい声援を送った。美津錦はここで引退を決意した。
大日本および五代両相撲協会の設立に努力した美津錦の功績に対し黒猫団から「勲二等黒猫賞」が授与されている。久曽寺に続く二人目の叙勲であった。
なお、麒麟山、大和側は続く場所がないことからしばらく不遇の期間を過ごすことになるが五代が大日本と合併後に実力が花咲くことになる。 
それでは、同月の合同場所を時系列に追ってみよう。新日本も極東相撲協会に割れて混乱を極めるものになった。
実施日の記載のない場所もあり、この場合は推定の日付であることをお断りしておく。


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